海までの通りをめいっぱいアクセルを踏んで通り抜ける。何度か連絡を入れようか迷ったが、下手に動揺して事故を起こすのが怖くてやめておいた。ティエリアは無事でいてくれるだろうか。それだけを祈り、ほとんどフェンスにぶつかる勢いで車をパーキングに放り込む。混乱しておぼつかない足のまま、財布と端末だけをもって車から飛び出した。太陽に灼けたアスファルトに飛び込むんじゃないかという勢いでよろけ、ぎりぎりのところで踏みとどまる。
「ティエリア!!!」
 呼んでもしょうがない。わかっていたけれど、叫びながら走る。ドラマのような己のシチュエーションに酔う気にもなれず、渚には不似合いな仕事着のまま砂に足を取られつつ、走った。通り過ぎざまのほとんど裸みたいな露出の女を忌々しげに睨みつける。あの乳が、脚が、ティエリアをたぶらかすなんて考えたくもない。だいたい夏だからかビーチだからといって露出度が高いにもほどがある。目に毒だ。思わず揺れる乳房を目で追ってしまい、はっと我に返った。
「いけねっ、ティエリア…!」
 息を吐いて辺りを見回したとき、ひときわ目を引く場所が目に留まった。小さな休憩所のそばに人だかりができていて、救急車が止まっている。海難事故でも起こったのだろうか。それともビーチでテンションがあがりすぎた酔っぱらいの喧嘩か。
 目を細めてふらふらとそれに近寄り、店内をのぞきこんだとき、通りのいい声が鼓膜に引っかかった。
「いらっしゃいませ! ご注文は…、」
 しかし、それは途中で途切れる。かわりに赤いひとみが見開かれたのを見た。こちらも信じられず、双眸を思い切り見開く。グレーのパーカーに白い水着、浮き輪こそなかったが、ライルからの添付ファイルと全く同じ出で立ちのその姿は、
「…ティエリア!?」
「ロックオン…!!」
 思わずお互いを呼び合い、顔をまじまじと眺める。なぜこんなところにいるのか、なぜ店員のようなことを口にしていたのか、色々と聞きたいことがこみ上げるが、驚きのあまり言葉にならなかった。全力疾走の後、からからに乾いた喉でなんとか声を絞り出そうとしているうち、ざわめく場に引き戻された。
「ティー、4番テーブルできたから運んでくれ!」
「了解した!」
 俺たちが固まっている間に、調理場から殺気だった声が飛んでくる。それで我に返ったのか、くるりと向きを変えて調理場に駆け寄ろうとした。今の声も、呼び方もすべて覚えがある。しかし理由がさっぱり読めず呆然としていると、調理場に飛び込む前にティエリアが再びこちらを振り返り、声をかけてきた。
「話は後だ! 2番テーブル…じゃなかった、入り口から近い窓際の席で待っていてくれ!」
 指定された席へ目を向けるが、そこには知らない顔の先客が座っていた。布地の面積の小さい水着を着た女性は、そのくせ俺を知っているような態度をみせて笑いかける。ますます訳がわからなくなったが、ティエリアの言葉を無視するわけにもいかず、おずおずと相席に腰掛けた。相手の親しげな笑みがいっそう不可解だ。
「もういいの? ライル。ティーちゃんは?」
 呼ばれて、そこで初めて弟と間違えられていたことに気がつく。大方、ライルがここでひっかけた女だろう。大きすぎも小さすぎもしない胸に、長い手足。大人びた整った顔立ち。どこもかしこもあいつの好きそうな形をしていて少し呆れた。ため息を吐き出し、頭を振る。
「残念ながら俺はライルじゃない。あいつらを迎えにきたんだが…」
「ええ!? スッゴイそっくり! 双子?」
「いいや、よく似た他人」
 兄の恋人をナンパに連れ出すような輩を弟とは認めたくなかったので、適当なことを言った。相手が幸いなことに、ノリがいいのか、深く考えていないのか、それ以上追及しようとはせずに、ふうんと小さく呟くだけで終わった。特に俺を気にする様子もなく、調理場の方に視線を注いでいたかと思うと、まるで独り言のようなボリュームで口を開いた。
「ティーちゃんがね、この店の人を助けたの」
「ティーちゃ…ティエリア、が?」
 テーブルをあちこち回ってせわしなく動くティエリアを思わず視線で追ってしまう。家事もろくにできないと思っていたが、こう見るとなかなかウエイターも様になっていた。元々、頭の回転は速い子なのだ。きびきびと動き、正確にオーダーをとっていく。これで笑顔もあれば言うことはないのだが、あの可愛い笑顔をあまり振りまかれても複雑なので、充分合格点だ。
「なんか、調理場で倒れてたんだって。頼まれて、少し配膳を手伝ったら、店員だと勘違いしたお客さんに次々と声をかけられちゃって、あっと言う間に手が回らなくなっちゃったみたいで…」
 確かに、配膳の手際はよいのだが、彼は壊滅的に料理ができない。毎日彼の料理を口にしている俺が保証する。しかも下手な上に、異様に時間がかかるのだ。手が回らなくなり、調理場で呆然とするティエリアの姿がありありと想像できて胸が痛んだ。
「そしたら、ライルがあそこにいって。おかげで振られちゃった……ひどいよね」
 唇をつきだしてむくれてみるが、声音はなんだか楽しそうだ。二人を見る目もなんだか優しい。渚で砂浜で露出の高い水着を着る女など、エロいだけでろくなものではないと思っていたが、認識を改めようと思った。薄く笑って立ち上がり、ゆっくりと頭を下げる。ぽかんと見上げる彼女の肩に乗った、細かい砂粒を払ってやった。
「悪かった。家族の代わりに謝っとく」
「…よく似た他人、でしょ?」
「そうだったっけ?」
 適当なんだから、と低く呟いて笑う彼女にもう一度頭を下げてから、調理場を覗く。いったいどうなっているのかいまいち状況もつかめず、どれだけ介入していいのかもわからない。だが、家族が皆がんばっているのを、一家の大黒柱が黙って見ているだけというのはいかがなものかと思う。
「ティー! ポテト4番に…って兄さん!?」
 焼きそばを炒める手をとめ、目を丸くするライルに向かって小さく手を振った。色々こいつには言いたいこともあるが、それより先にやることがある。調理台に乗った料理をトレイに乗せ、何か言いたげな弟に先回りして声をかける。
「話は後だ。手伝う」
「…っていうか、こんなとこまで来るのかよ。仕事は」
「いやあ、お前からのメール見てたら、いても立ってもいられなくなっちまってさ…」
 笑いながら、きびすを返す。調理場を出る一歩手前のところで足を止め、低く呟いた。ティエリアを助けてくれたことには感謝するが、全く反省の色が見えないので。
「…覚えてろよ? ライル」
 肩越しの弟は何も言わない。それが一番の答えだった。



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