基地の入り口に近いところにあるラウンジは、名目上一般客も使用可能となっているが、いつも笑えるくらいに空いていた。理由は簡単で、そこで出される軽食も飲み物もどうしようもなく、まずいのだ。こんなものを喜んで食べる人間なんて、ユニオンの粗雑な味付けのレーションに舌を麻痺させられた隊員くらいだろう。案の定、外部の人間である僕の友人は、経費削減のためにお湯を注ぎすぎたせいで薄すぎるアメリカンを飲んで目を丸くした。自宅にいるよりもこの基地にいる時間の方が遙かに長い僕でさえ、慣れることのできない味だった。
 いっそ基地付近にあるチェーン店のスタンドにでも行こうかと提案してみるが、彼は基地を出る気はないらしく、アメリカンに三つのミルクポーションを入れながらふるふると頭を振った。コーヒーらしからぬ色になったそれに舌先を触れさせたとき、端正な顔がしかめられた。それを見て、コーヒーを淹れたのは僕ではないにも関わらず罪悪感に苛まれる。しかし今の僕に出来ることなど、端末からメッセージを送信することぐらいだった。送信完了と表示された画面を確かめた後、ホロモニターから視線を外す。いまだコーヒーと格闘する彼に苦笑を向けながら、彼の待ち望んでいただろう言葉を口にした。
「仕事が終わったらここに来るよう、伝えたよ。きっとすっ飛んで来るんじゃないかな」
「ありがとう。きみは、仕事に戻らなくていいのか?」
 近くに来ていることをメールで告げた後、仕事の合間に少し会えないかと言ってきたのは、そもそも彼の方だったのだが。彼と共にラウンジに入り浸ってぬるいコーヒーを舐めているばかりで、仕事に戻る様子を見せない僕は、彼の目にも流石に奇妙に映ったらしい。
「いいんだ。最近少し働きすぎたし……優秀な部下もいるし、大丈夫だと思うよ」
「忙しいのか」
「多少は仕方ないさ。こんな情勢だからね」
 ラウンジに備え付けてあるホロモニターから、中東の紛争の状況を伝える抑揚のない声が漏れる。タイミングのよさに舌を巻きながらも、隊員を休憩させる場所でこんなものを流す気遣いのなさに呆れた。こういう場所には頭の悪いバラエティ番組でも流しておけばいいのに。
「やはり、良くないようだな」
「…まあね」
「ロックオンも、最近は忙しそうだ」
 ぽつりと漏らした後、モニターに目を遣った彼の眉間にも皺が刻まれていく。それを見て慌てて言葉を付け加えた。肝心なときに気の利いたことが言えない自分をもどかしく思った。
「大丈夫、だと思うよ」
 僕のあまりにも曖昧すぎる言葉に、彼が目を丸くし、それから苦笑した。僕の言葉は普段彼と交わしている会話に比べ、あまりに突飛で無根拠だった。モニターで切り取られた現地の声の諦め方と、それを淡々と受け止めるアナウンサーの声が、余計に悲壮さを強めていて。説得力というなら、子どもの玩具とカスタムフラッグくらいの戦力差があるだろう。
 そして僕は、その差を埋めるために慌てて真っ当な言葉を探した。話し相手が、こんな言い方をあまり好まないかもしれないと、承知の上で。どう取り繕ったってここは軍基地で、彼の恋人は軍人なのだ。そして軍人の仕事は人を守ることであり、そのために殺すことである。それは変えることのできない事実だ。
「ロックオンは優秀な軍人だから。現に、怪我ひとつしていないだろう?」
 新入りにさりげなく声をかけ、隊になじめるように気を遣ったり、文句を言いながらもグラハムの皿にマッシュポテトを多めに取り分けてやったり。そういう普段の生活から見える彼の美点は、哀しいことに今は何の役にも立たない。しかしここで彼の軍人としての優秀さを、頭の中のデータと共に並べ立てて自分の言葉を裏付けるのはあまりにも無神経なように思え、やはり明確でない言葉を口にするだけで終わる。ティエリアはそうか、と低く呟いただけでそれきり何か考え込んでしまった。
 ロックオンを迎えに来たのだ、と彼は言ったが、それだけにしては何か思い悩んでいる風だった。しかし僕は踏み込むことも出来ずに、まずいコーヒーを啜りながら待ち続けている。動こうとしては何かを飲み込む薄い唇をぼんやり眺めながら、冷静なニュースに耳を傾ける。そんな時間がしばらく続いて。それから。
「優秀な軍人か…」
 ぽつりと呟き、ミルクポーションの入れすぎで唯の白い液体になってしまったものを啜る。顔をしかめたのは、その味のせいばかりではあるまい。紙コップの縁から唇を離して、ニュースを流すモニターへと目を遣っていた。相変わらず淡々とした口調で、戦災孤児に愛の手を、という募金のお知らせが流れていた。
「彼は、苦しんでいたと思うか?」
「……え?」
 不意に投げかけられた、その言葉の意味を問おうとした。が、それは適わなかった。
「ティエリア!!!? どうしたんだよお前!」
「ロックオン、」
 ラウンジに恋人の姿を見つけ、簡素な作りの椅子をがたりと蹴飛ばすような勢いで立ち上がる。それきりこの会話は終わりなのだろうと思った。それで良いのかという気もしたが、恋人同士の逢瀬を邪魔をしてまで、自分の疑問を解消しようとするほど空気の読めない人間ではないつもりだった。それほど距離もないのにお互いにぱたぱたと駆け寄り、それでも人目があるのを気にしてか、軽く背に手を回すだけで終わる。そのついでに濃い色の後頭部を撫でるロックオンの手つきはとても優しく、先ほどティエリアが口にしたような、不穏な言葉とはほど遠いように思えた。
「あなたを迎えにきたんだ」
 頭を撫でられながらふわりと笑むティエリアの姿をみて、ロックオンはそれ以上を問うことをやめたようだった。そこに何処か躊躇いの色が見えた気がしたが、僕にはその理由まで思い至ることが出来ない。先ほどの含みのある物言いと、普段はしない珍しい行動とに違和感は覚えても、唯の気まぐれで気遣いなのだと言われては納得するしかない。
 薄すぎる上に冷めかけたコーヒーを舌で転がしながら、密やかにモニターに映る番組のチャンネルを変更した。そのとき、ティエリアの肩越しにロックオンが僕の存在に気づき、手を挙げる。それに誘われてティエリアもこちらへ向き直る。ふたりの世界を邪魔してしまったような、すこし居心地の悪い気分になりながらも、笑みで応えた。ティエリアの飲みさしの白いコーヒーの乗ったテーブルへと戻り、頭を下げられる。
「すみません、仕事中に面倒見てくださって」
「気にしないで。友人と話すのもいい気分転換だから」
 こうしてティエリアの代わりに礼を言う姿は、まるきり保護者のようだ。苦笑しながらも少し淋しいと思う。僕は彼の上司という立場ではあるけれど、ティエリアの友人でもあるのだから、頭を下げなくともよいと思うのに。ロックオンという男の、人好きのする態度がそう感じさせるのかもしれない。
 優秀な軍人だという言葉に嘘はないが、彼ほど軍人らしさを感じさせない男も珍しいだろう。優男風の外見ややわらかな物言いのせいだろうか。たまに正装でスーツに腕を通すと、どこかのビジネスマンにしか見えない。
 グラハムもその童顔や気さくな雰囲気から同じようなことを言われるようだが、彼の場合は、少年時代から士官学校でみっちり鍛え上げられただけあり、口調や立ち振る舞いがいかにもそれらしい。少なくとも、あんなビジネスマンがいたら僕はその企業を心底哀れむだろう。あれは軍の中でしか生きられないタイプだ。ロックオンとは何処かが、根本的に違う。
「お迎えも来たことだし、早く帰るといいよ。お疲れ様、ロックオン」
「そうさせて貰います。行こうぜ、ティエリア」
「ああ。ランチを食べよう」
 寸分の狂いもなく多くの敵機を狙い撃ってみせる指先が、ひどく優しくティエリアの毛先を撫でる。コマンダーの殲滅命令を平坦な声で了承する唇が、これから食べるランチのメニューについて話し合っている。そういう、今まで散々目にした筈の矛盾に皮膚の下が疼いたのは久しぶりだった。
 彼は、苦しんでいたのか。絞り出すようなティエリアの問いは、今まで僕たちがうすうす感づいて、そして見ないふりをしていた多くのものの一つだ。そしてそれに答えを出してはいけないのだと、僕は強引に巡らせかけた思考を打ち切った。




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