繰り返すが、グラハム・エーカーは情熱家である。情熱家であるから、並々ならぬ情熱を以て、家主の制止を振り切り、洗面所やバスルーム、果ては寝室まで調査に至った。大雑把で剛胆に見える彼だが、物事には徹底的に取りかかる。
 たとえばセミダブルのベッドは毛布を剥がしてシーツを観察し、あまつさえ自分が横になってみせて寝心地まで確かめた。洗面所では家主の制止を振り切ってケースを調べ、ロックオンの下着の山からフジヤマがプリントされたトランクスを見つけ出していた。グラハムは酔った勢いで自分が買い与えていたことをすっかり忘れていた。
「歯ブラシは一本。女物の下着もない。バスルームは男性用のものばかり……怪しいのはセミダブルのベッドくらいだが、毛髪は彼のもののみ。ベッドの下に破廉恥な本のひとつもない」
「……つまり?」
「実につまらん結果だ、と言えよう」
「つまらなくて悪かったですね!」
 僕らの間を割り込むようにして、コーヒーの入ったマグが振り下ろされる。水面が揺れてテーブルにコーヒーが跳ねた。すかさずこぼした本人がそれを拭う。その手際の、良さに見とれた。
 最初はグラハムの狼藉にうろたえて止めようとしていたようだが、ベッドに横になられた辺りで諦めてしまったようだ。すっかり疲れ切った深緑色の双眸が哀れになる。無論、グラハムが荒らしに荒らした惨状の後片づけをするのは彼なのだ。
 ダイニングはまだ見られる状態だが、洗面所などはあちこちひっくり返されてもう目も当てられない。バスケットからタオルがはみ出して散乱し、その上にフジヤマのトランクスがでろんと垂れ下がっている。足を踏み入れたときの、整頓された空間が嘘のようだった。
「かくなるうえはキッチンだな。グラハム・エーカー、征く!」
「……もー、好きにしてください」
 教科書通りの敬礼をしてから、それほど距離もないのにキッチンへと駆けてゆく。グラハムの幼いはしゃぎように微笑ましい気分になりながら、用意されたコーヒーを啜った。
 出され方こそ乱暴だったが、彼の淹れるコーヒーは基地で出される泥水のようなコーヒーよりは遙かに美味しい。インスタントではなく、コーヒーメーカーできちんと淹れられているからだろう。濃厚な豆の香りは実に僕好みだった。
「君のこういう几帳面なところ、好きだよ」
「それはどーも」
「でも、今日は60点ってところかな」
 ロックオンが怪訝そうな顔をする。その先の反応を思い浮かべて笑みを深めた。畳みかけるように言葉を重ねる。
「まず寝室。寝やすいからセミダブルっていうのは手垢のついた言い訳だよ。ちょっと苦しかったね。一人暮らしを強調したいならベッドの下に適当に猥褻物でも仕込めば良かったのに。性欲を向ける相手がいるって言っているようなものじゃないか。あと、クローゼットからピンク色のカーディガンがほんのちょっとはみ出ていた。これは完全な失態だね。グラハムに見つからなくて良かった。それから……そうそう、そこにあるごついパソコンは君のかい? 随分マニアックな趣味をしているね。そことそこのパーツはある店でしか売っていないレア物なんだ。まさか君にそんな趣味があったなんて、是非一度じっくり話を聞かせて欲しいな」
「あの、それは…そっち系に詳しい友人が、」
 力無い反撃を、完璧な笑顔でねじ伏せる。勢いは完全にこちらにあった。呼吸する暇も与えずに続ける。決定打となる言葉を。
「寝室のダストボックスにそれを梱包した箱がねじ込まれていたんだけれど?」
 チェックメイト。彼がテーブルの下でがっくりと膝をついた。あまりに期待通りのリアクションに、笑い声が漏れそうになる。彼はとても丁寧で几帳面だけれど、それゆえに綻びも見えやすい。女性の痕跡を消すのは手慣れていても、相手の趣味の痕跡までは消せなかったようだった。隠蔽されたものを発見するには、視点を変えるのが一番だ。
「どうか、あの人にだけは……」
 膝をついたまま絞り出された切実な声音。流石に相手を哀れに思う。足を組み替えてから先ほどの口調とはうってかわって、なるべく穏やかに響くように声をかけた。散々責め立てたこの口で言うことではない、と自分でも思ったのだが。
「心配しなくても、今日のところは大人しく退散するよ。君の努力は認めないとね」
「カタギリさん……!」
 顔を上げ、こちらに見せた双眸は神々しい物を見るように輝いていた。その純粋さに、強引に鍵をこじ開けてしまった罪悪感が頭をもたげる。好奇心と天秤に掛けて、良心が痛み出した。まだ僕はグラハムほどの情熱家にはなれないようだ。膝をついて懇願する彼が見られたのでよしとする。今日のところは、彼に休息と片づけの時間を与えねば。
 ――と、思っていたが、甘かった。
「ロックオン・ストラトス! プリンを頂くぞ!」
 僕は彼に忠告することを忘れていた。グラハム・エーカーが他人の家の冷蔵庫が大好きであることを。勝手に開き、勝手にその中身を食べる。先日も翌日食べようと思ってとっておいたキャラメルアイスを食べられたばかりだ。どうやら本人の中では食べることを持ち主に知らせさえすれば、それが許可と同義になるらしかった。
 食べ物の恨みが恐ろしいことを知らない。
 通りのいい声が場を凍り付かせる。さあっとロックオンの顔が青ざめるのがわかった。
「プリンはだめっっっ!!!」
 ロックオンが頭を抱えて飛び上がる。数多の女性達の誘いをスマートに断る彼の姿は、どこにもなかった。彼もまた、さして距離のないキッチンへの距離を、ものすごい早さで駆けていく。どだどたどたっ、という派手な足音は、閑静なこの住居に似つかわしくなく、響いた。
「……いやはや」
 カップに残っているコーヒーを飲み干す。底を仰いだとき、追って響く耳慣れない叫び声が聞こえた。そして、ロックオンの言葉にならない興奮した声音がそれに応える。鼻孔を通り抜けるコーヒーの匂いだけが平和で、しかし現実にはどこにもない。
 カップを置き、おもむろに立ち上がる。天秤に乗った罪悪感が再び高く掲げられ、好奇心に傾くのを実感した。
「面白いなぁ、ここは」
 肩をすくめて、キッチンに向かう。他の二人とは違って、極力ゆっくりと。一歩一歩を踏みしめながら。




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