グラハム・エーカーという男を一言で言うならば情熱家だ。仕事でも恋愛でも、一度興味を抱いたものに並々ならぬ熱意を注いでいる。血のにじむような鍛錬の末、ユニオンのエースパイロットにまでのし上がる一方で、真っ赤なバラの花束を渡して幾多の女性を陥落させる。そのバイタリティこそが彼の一番の才能だと僕は思っている。
 しかし僕自身を含めて、彼の情熱に困惑させられている人物もいないわけではない。人並み外れるということが、必ずしも周囲に好影響ばかりを与えるわけではないことを、彼を見ているとつくづく実感する。
 なぜなら、彼が情熱家であるがゆえに、しばしば間違った方向にも等しくその並はずれた熱意が向けられるからだ。ファーストフードの食玩のコンプリートを試みたり(彼のデスクの周囲がまるでグレードスクールの少年のようになったのは記憶に新しい)、部下のドレッドの本数を真剣にカウントしてみせたりもした(会うたび熱烈な視線を送る上官にさぞ困惑したことだろう)。
 そして、幸福なのか不幸なのか、彼は情熱家であると共に飽き性でもあった。しかもある日突然、スイッチが切れたように飽きるのだ。お陰であと一種類でコンプリート出来た筈の食玩は僕のデスクに押し付けられ、ドレッドをカウントした記録は21本で止まっている。
 彼が未だに飽きずにのめり込み続けているのは、それこそフラッグと女性だけなのではないかと、思う。無論後者は女性という枠だけが当てはまり、相手自体はオマケの食玩よりも頻繁に変更されているわけだが。
 故に、彼の情熱の対象となった者は、彼がある日突然飽きてくれるのを待つしかない。それこそ嵐が過ぎ去るまで、室内でじっと息を殺して待つような不確かさだった。彼のブームは三時間で終わったり半年近く続いたりと期間もまちまちなので、アタリをつけることも容易ではない。規則性もない。それこそ天災のような男だった。ターゲットには同情を禁じ得ない。
「……同情するならなんとかしてください。親友でしょう」
「僕如きがどうこう出来るんだったら、世界はもっと平和だよ」
 今回の彼のターゲットであるロックオン・ストラトスが、隠さずもせずため息を吐いた。倦んだ目が痛々しい。
 すぐ傍に上官がいるのに堂々としたものだと思うが、彼は初めての部下の家に興奮してそれどころではないようだった。意味もなくそわそわと手が動いている。こちらに向けられているのが後頭部なので分からないが、アイスグリーンの瞳はさぞ子どものように輝いていることだろう。
 ついてきた僕が言うものではないが、よくも他人の家ごときでここまで興奮出来るものだと思う。とりたててつくりが個性的だとか、特殊な場所に建っているとか、そういう真新しいものもない。ごく普通の家なのだから。
 緑の多い閑静な場所にひっそりと建っているロックオン・ストラトスの自宅は、正直なところ彼の若さや都会的な匂いにそぐわないように思えた。むしろ、俗世間に疲れた老夫婦が好みそうな佇まいだと、失礼なことを思う。
「いい家だね」
「……そう言って貰えて嬉しいです。苦労して見つけたので」
 気鬱な顔から一転、屈託なく笑う彼を見て、家族や親戚から押し付けられたという可能性を消した。そもそも彼はテロで家族を失って以来天涯孤独の身と聞いている。家を貰うほどの関係の縁者が居るならば、母国を遠く離れてこんな仕事をしている筈もない。
 MSWADの基地から遠いという点で便利とも言い難く、グラハムと共にジャンクフードを好んでたしなむ彼が、スローライフを重んじるとも思えない。たった今不可抗力という選択肢も潰されて、やはり残る可能性はひとつしかなくなった。
 その都会的でスマートな雰囲気と、お国柄を思わせる紳士的な態度は、女性職員の間でも、グラハム以来の逸材だと騒がれている。それなのに、如何なる女性のアプローチも穏やかにかわしてみせるから、ますます女性諸君の注目を買ってしまうのだ。
 彼の女性人気と狙撃技術へのやっかみから、グラハム中尉のお下がりが嫌なんだという陰口を叩くものもいたが(言い寄ってくる女性が皆グラハムのお手つきであることは事実なのだが。哀しいことに)そんな言葉を歯牙にもかけることなく、彼はいつも定時に帰宅すべく驚異的な処理能力を以て仕事に向かっていた。
 今日だって帰宅時間すら惜しんで手際よく荷物をまとめる彼を、グラハムが強引に引き留めなければ捕まえることすら不可能だった。やはり持つべきものは直属の上官と縦社会である。
 下世話な興味から自然と口の端がつり上がっていく。グラハムほどの情熱家ではないにしろ、僕とて人並みの好奇心は持っているのだ。
「楽しみだなぁ、ロックオン!」
「僕もだよ。さぁグラハム、お邪魔させてもらおうか」
「ちょっと、鍵…、」
 家主の制止の声は軽く受け流す。電子ロックに阻まれて情熱を持てあましているグラハムの肩を抱き、その後ろから手を伸ばした。予想した通りの一般的な型であることに笑みを深めながら、携帯端末を向けた。
 ロックオンはグラハムを家に入れることを歓迎していない。彼は唯一のアドバンテージを己の持つカードキーだと思っており、これが自分の手の中にある限り、僕らの侵入は不可能であると信じている。あれほど自宅を見せることを嫌がっていた彼だ。ここまで来てしまっても、得意の話術で時間を稼いでなんとか追い返す算段でいたのだろう。
 しかし、彼の唯一最大の誤算は、僕が彼の味方だと思いこんでいることだった。残念ながら、僕にだって大いに興味はある。彼が健気とも思えるほど懸命に、グラハムの情熱から守ろうとしているものに。
グラハムの肩越しに携帯端末をいじる。思った通り何の変哲もない普通のセキュリティ・ロックだった。こんなもの、専門家の手にかかれば一分とかからず解除可能だ。門外漢の僕ではもう三十秒プラスといったところか。何でも電子化しようとするこのご時世には疑問を覚える。電子化そのものではなく、一見強固で安全に見えるが、実はとても脆いことを知らない人間が多すぎる。
 けれど、電子化された世の中でなければ僕のような人間は食い扶持を失ってしまうわけで。危うさに気づいている人間はそれを失いたくないから口をつぐむ。とかくこの世は矛盾している。
「はい、おしまい」
 世の中への愁いと共に最後のロックを解除する。餌にだまされて無防備に緑色のライトが点ったのを見て、口の端をつり上げた。あんなに騒いでいたのが嘘のように、グラハムはそんな僕を黙って見ていた。感動も制止もしない彼のそんなところが僕は割と好きだ。
 重厚な扉からカチリ、という降伏の音がした。招かれざる客はこうして子ヤギの待つ家へと侵入していくのだった。
「……え、」
 背後でロックオンの呆然とした呟きが漏れる。その瞬間笑い出したい気分になるのを抑えるのが大変だった。まるでレディをエスコートするように、恭しく扉を開けてみせるつもりで、ドアノブに手をかける。僕なりのサービス精神のつもりだった。
「お邪魔します」
 指先を、ドアノブに絡める。そのときに。
 ビ――――ッッ!!!!
 激しいアラート音が鳴り響き、一度は緑に点った場所が再び赤に変わる。信じられなかった。ロックは全て解除した筈だ。目を見開いた。視線の先の家主でさえ、何が起こったのかわからずに驚いていた。僕になんとなく肩を抱かれたままの、グラハムだけが冷静だった。
 玄関に備わっている装置には見覚えがある。カタログにも載っているポピュラーなものだ。それだけに解除手順も裏で研究されており、間違うはずもなかった。引っかかった記憶もない。生業にしている者特有の違和感も覚えなかった。完璧だと思っていた。
 なのに、何故。
 まさか僕自身が、餌を掴まされていたというわけか。違和感を覚えさせないほど、完璧に。
「……これは面白い」
 笑みに穏やかでないものが混じるのを自覚した。隣のグラハムが、若干物珍しそうにこちらを一瞥する。興味本位から彼の恋人をからかう程度でいたのだが、どうやら中にいるのは子ヤギのような可愛らしいだけの存在ではないらしい。
 後ろでまだ状況が飲み込めないでいる家主に声をかける。彼がどれほど嫌がったとしても、なんとしてもこのドアを開けて貰わねばならないと、思った。




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