基本的に僕は服装などどうでもいい。寒さや暑さがしのげて、着心地がよく、外に出るのに困らなければ。彼の匂いの残るシャツを着るのも悪くはないが、一番最初と最後の条件に当てはまらないので、仕方なく自分のものを買っている。
 しかし彼はやれ同じような服ばかりだとか、サイズが合っていないだとか、挙げ句の果てには可愛くないとまで言い出して(男の僕が可愛くある必要があるのか甚だ疑問だ)、ことあるごとに僕を街へ連れ出してはマネキンのごとく服を着せようとする。
 しかも、彼一人ならばまだいい。ライルと三人で出かけると店先で僕の似合う服について店先で議論を始めるから、呆れてものも言えない。最終的に白熱した二人が、自分と相手のコーディネート、どちらがまともかと振ってくるのでよけいに困る。くどいようだが、僕は服装などに興味はない。両方買えばいいじゃないか、と仕方なく言って、そしてクローゼットの中に着ていない服が増えていく。その繰り返しだった。






 しかしそんな僕にも、気になる服というものが一応、存在するのだ。それは彼らによく連れていかれる店のショーウインドーに飾ってある、シンプルな形のジーンズだった。
 ああいったジーンズをロックオンが履いていると、彼のすらりとした脚の形がよくわかって、美しいと思う。はじめはそれを眺めているだけで満足だったのだが、現物を見てしまってからは、欲求がもたげるばかりだった。
 そもそも、ロックオンはあまり僕にジーンズを買い与えようとはしない。試しにそっと指さしてみたけれど、俺が似たようなものを持ってるから、の一言で片づけられた。サイズが合っていないという理由でケチをつけたのは、一体誰だったろうか。
 仕方ないので自腹を切ることも考えたのだが、ロックオンの前では買うことができないし、ひとりではあの店にたどり着くことすらできない。それならば、とネットショップを探してみたのだが、存在しないと知ったときはクレームを入れようかとすら思った。
 手に入らないと分かるとなおのこと欲しいと思うようで、最近は寝てもさめてもジーンズのことばかり考えるようになってしまった。ロックオンがジーンズを履いている日は、その下半身へつい視線を運んでしまう。彼の長い脚がデニムの生地に包まれている様は美しく、思わずため息を吐いた。
「…ティー、どうした?」
 背後から突然声をかけられ、思わず手にしていたデニッシュを取り落としてしまう。悪ィ、とつぶやいて落ちたデニッシュを拾い上げてくれたのはライルだった。
「さっきからずっと兄さんのケツ見てっけど…楽しいか?」
「ああ。とても美しい」
 にこりと笑ってそう答えると、ライルは面食らったような顔をしてから苦笑をにじませた。デニッシュの残りを口にしながら、どうにかしてあのジーンズを手に入れられないかと考える。やはり本社に電話をして配送してもらうよう交渉するしかないだろうか。ソファにうつぶせになっているせいで、天井を向いたロックオンの尻を見つめながら、もう一度ため息を吐く。
「うつくしい…ねえ」
 寝間着代わりのジャージに包まれた自身の尻を見つめながら、ライルがつぶやく。それを見たとき、ふと思いついたことがあった。
「…今日は暇か? ライル」
「予定はないけど…どうかしたか?」
 ロックオン以外にも、あの店の所在を知っている人間がこの家にもいたことを、すっかり失念していた。わざわざ本社とコンタクトをとらずとも、よっぽど楽ではないだろうか。一度思いつくと、それはとてもいい案のように思えて、思わず笑みがこぼれた。







 ライルに事情を説明し、ランチアで店に連れていってもらうまではよかったのだ。もとよりロックオンの少女趣味に不満を持っていたのか、ジーンズもいいと思うぜ、といいながら僕の代わりに店員に事情を話し、同じものを持ってくるよう頼んでくれた。憧れていたものが手元にある、という事実は僕を大いに興奮させ、珍しく自分から試着を申し出た。
 ―――それからが、問題だった。
 ロックオンが似たようなジーンズを履いていたときはあんなに美しかったのに、僕が履いてはいまいちそぐわない。脚の周りが緩いのだ。ライルも、試着室から出るなり眉を寄せて苦笑し、お前、細いもんな、と曖昧なフォローを口にした。
 もうワンサイズ小さいものはないかとライルが店員に問いかけてくれたが、店員は頭を下げるばかりだった。丈は詰められても幅ばかりはどうにもならない。身体にぴったろフィットしてこそ美しいデザインなのだと、ロックオンを見てもよくわかっていたから、諦めるしかなかった。
 店員があれこれと別のデザインを勧めてくれたが、あれ以上に魅力的なものは僕のなかにはなかった。ライルもそれを察したのか、やんわりと断ってくれた。
 そして、ライルが最後に僕の欲しかったジーンズを店員に返そうとしたので、あわててそれを押しとどめた。
 こんなことをしたって何もならないのかもしれないと、分かってはいたけれど。




「なに? どういう風の吹き回しだ?」
 行きつけの店の紙袋の中身を覗いたとたん、ロックオンは首を傾げた。つーか俺、同じようなの持ってるし、とつぶやきかけたロックオンの口を、ライルが慌ててふさぐ。確かにその通りだろう。だが、僕はああいうジーンズを履くロックオンに憧れていたのだから、本当は彼が着るべきなのだ。
「いつももらってばかりだから。たまにはいいだろう」
「…そっか、ありがとな。ティエリア」
 彼の屈託のない笑顔に少しだけ胸が痛む。できるなら揃いのジーンズを履きたかったというのは嘘ではないが、こうすることで彼が喜ぶのならそれもいい。ほかの誰かにあれを買われるくらいなら、自分が履けなくとも手元に置いておきたかった。
 ―――諦めはついた、つもりだった。

 しかし、僕が似合うと誉めた服はしばらく喜んで着続けるくらいの彼が、いつまで経ってもそのジーンズを履こうとはしなかった。あんなに嬉しそうにしていたのに、内心では気に入ってくれなかったのだろうか。彼が寝室から出るときに、違う服を選ぶのを見るたびに、ささやかに動揺するのを感じた。
 その日も、先に目覚めた彼が下着姿のままで脱ぎ捨てた二人分の衣服をかき集め、その後にクロゼットを漁り出す背中をぼんやりと見ていた。彼が衣服に手をのばすとき、少しだけ期待してしまうのだが、今日、彼が選んだのは黒いスラックスだった。
 思わずため息を吐くと、それが思いの外大きく響いてしまい、彼が振り向く。慌てて体温であたたまった生ぬるい毛布をかぶりなおすが、緑の両眼と視線が合ってしまい、眠る振りをするのもかなわない。
 ばつの悪い思いをしながら、裸の背中を彼に向けて、ふるえる声で問いかけた。いちいち動揺するのにもいい加減疲れた。気に入らないならそうとはっきり聞きたい。
「…僕が買った服は、気に入らなかったのか」
「え?」
「あれからしばらく経つが、一度も着ていないだろう。勝手に服を選んで…悪かった。もう、こんなことは、」
 ふるえを通り越して涙の気配さえする言葉で、しない、と続けようとしたとき、彼のため息がかぶさった。こんなことで拗ねては呆れられただろうか。思わず肩を震わせると、そのこわばった部分を撫でるように優しい手がかぶさった。
「ンなこと考えてたのか……俺こそ悪かったな」
 そう言って、枕元にぽん、と何かを置く。慌てて手を伸ばしてそれを確かめると、見覚えのある形のショートパンツだった。裾の方がおおざっぱに切り取られ、あちこち糸がはみ出てほつれている。ライルならもっとうまくやれたんだろうけどな、と付け加えて彼が笑った。
「ライルから聞いた。お前、ほんとはそれが欲しかったんだろ? 俺はこういうの、あんま得意じゃなくて悪ィんだけどさ、」
 丈とか合ってりゃいいんだけど、と言いながら彼が照れくさそうに笑う。その横顔を見て、目尻から涙がこぼれるのを止められなかった。それを見て彼が目を丸くする。
「え、あ、…せっかくプレゼントしてくれたのに、こんなむちゃくちゃにしちまって悪かった! やっぱライルに頼んどけば…」
「違うんだ、」
 手製のショートパンツを下げようとするロックオンの手を、慌てて押しとどめる。うろたえきった彼の顔がぼやけて、はっきりと見ることができない。そんな状態でも、無理矢理に笑みを作った。空いた方の手で目尻の涙を拭いながら続ける。
「嬉しいんだ。とても。大切にする」
 きゅっとショートパンツを握りしめて言うと、ロックオンの口元がほころぶ。僕がジーンズをプレゼントしたときよりも、ずっと嬉しそうだと思ったのは、僕の贔屓目だろうか。






 その日は僕がほつれたデニム生地のショートパンツ、彼が身体にフィットしたジーンズで過ごした。ライルは僕のように尻の辺りをしばらく見つめた後に、いいんじゃねえの、と優しげにつぶやいた。二人で顔を見合わせて、笑った。