街で、ビニール製の動物を持つ子どもを見た。光沢のある表面に浮かぶ薄笑いの動物はどことなく異様な雰囲気があった。目を離せずに見ていたら、後ろから彼が珍しいのか、と笑った。風船のように、背中の栓から空気を吹き込んで膨らますのだと教えてくれた。子どもはそれを大事そうに抱えていた。遠ざかっていく子どもの肩越しに、動物のまるい瞳がいつまでも私を見ていた。
 それを見て唐突に、あれは私だ、と思った。私という空気人形は、彼のやさしい息で膨らまされてなんとか形を保っている。私は彼に何も与えていないというのに彼は好きだと囁く。ねだって奪って貪るばかりだというのに、彼はそんな私を抱きしめる。空っぽの私が彼で埋め尽くされていく。人間もどきになっていく。
けれど人間もどきはいつまでたっても偽物でしかない。私の中には温かい血も重ねた過去を留める脳も入っていない。彼の痛みを分かち合える心も持たない。唯彼によって作られた生ぬるいだけの空洞を抱え込んでいるだけだ。きっと彼が、背中にある栓を抜きさえすればあっというまに形をなくしてしまうのだろう。
 彼がいなければ最低限の生活も保てないほどに依存している。私にとって、彼という人間は好悪の対象以前に必要不可欠な存在だった。私は私のためだけに彼を求めていた。私が彼にしがみついたとき、彼がどんな顔をしているのかすら分からない。彼はいつだって、私の言葉を求めていたし、耳を傾けていてくれるのに、私は彼をねだってばかりだった。
 それも当然のことなのだ。私の中身は空だから、私の言葉など存在しない。私には彼が注ぐ全てを受け入れて形作るしか能がない。すべてが彼に与えられたもので、私だけのものは存在しない。彼の不在のときの私はそれはもう酷い有様で、言いようのない空虚感と、不安ばかりに苛まれる。それらに耐えているときは、本当に何もないのだと突きつけられて苦しい。淋しさなどという生やさしいものではない。私そのものがなくなってしまうような喪失感と恐怖が依存心を高める。
 だからもし、彼が私を膨らませることに飽きたら、そっと栓を抜いて形をなくして折りたたんでクローゼットの奥に仕舞っていて欲しいと思う。子どもが飽きた玩具を箱にしまいこむように。彼に触れられないまま形を保っていても何の意味もない。私の中には彼以外は何もないのだから。たまに思い出したようにクローゼットの奥から出して懐かしいと眺められるほうがましだ。私には、その懐かしいという感覚すら理解出来ないのだろうけれど。
 たぶん、私が口に出来る望みなどそれくらいだ。

「ティエリア」

 彼は何度も私を呼んで、私をまた膨らます。あまり大きくなりすぎて形をなくすのが容易でなくなっては困るのに、彼はそんなこと構いもせず無遠慮に形を作ってゆく。栓を抜きさえすればあっさりと消えてしまうまがい物の癖に、勘違いをしてしまいそうになる。彼のおかげで。

 私をかたどる名前も身体も何もかも要らない。どうせ彼がいなければ存在することすら出来ないのだから。空洞も不安もまっぴらだ。いつかクローゼットの奥で眠ることだけを夢見て、彼に抱きしめられている。
 私は、そんな空気人形だ。