ライルが来てほどなく寝室にロックがついた。俺が指示したわけでも許可をしたわけでもなく、気がついたらひとつ増えていた。プライベートゾーンを守りたいという犯人の気持ちは分かったので、何も言わないでおいた。この同居が、あまり社交的ではない彼に多くの我慢を強いているのだと思えば、鍵のひとつくらいは仕方がない。そんなものがなくともライルは最低限の線引きは守る奴だし、彼がいたところで俺との関係は何も変わらないのだと、分かってもらうのには少し時間がかかるだろうから。
 ティエリアが鍵をかけるのは寝る前に俺と二人でいるときだけで、決して一人で引きこもるようなことはしない。そのことは幸いだった。鍵をかけた途端、今までお預けをくらっていた犬のように俺の胸にしがみつく様は素直に可愛らしかったし、何も変わらないのだと安心できた。うっかりと理性が揺らぎそうになるのは困るので、寝室を防音にしてもらおうかと真面目に考えているがしかし、照れくさくて言えずにいる。
 そんなわけで、今日もティエリアが丁寧に鍵をかけるのを確認してから、その背中を抱きしめた。服の生地や髪からこぼれる家の匂いにほっとする。いつもなら腕の中で器用に身体を反転させ、強く抱きしめ返されるのだが、今日は肩越しに軽く睨めつけられた後にするりと猫のように逃げを打たれた。予想外の反応に俺が固まっているうち、ティエリアはセミダブルのベッドの中に黙ってもぐりこむ。ぼふん、という、毛布のぶつかる柔らかい音にようやく我に返った。
「なんか冷たくない?」
「…裏切り者の扱いとしては上々だろう」
 毛布の隙間から聞こえた穏やかではない声に心臓が跳ねた。ライルと二人でティエリアが楽しみにしていたプリンを食べたのがもうばれてしまったのか、それとも付箋をつけるだけつけて半年以上放置していたうずたかい雑誌の山を処分したのが知られたのか。けれどあれを置いておくにはうちのクローゼットは明らかに容量が足りないのだと再三説明したのだから仕方がないだろう、と言い訳を口にしようとしたところで、ティエリアが面倒くさそうに身を起こした。
「俺を置いて夜勤に行くなど…万死に値する」
 何だ、そのことか。ティエリアには悪いが、内心で安堵した。同時に、夜勤程度で拗ねる相手の態度が久々で可愛いとすら思える。いや、本人にとっては真剣なことなので、夜勤程度、と片づけてしまうのはひどいのかもしれないが。こっそりと口の端をつり上げてしまった。
 ベッドに乗り上げ、四つんばいになって身を起こしたティエリアの顔を覗き込む。毛布で盛り上がった膝の辺りをまたいで顔を近づけると、つんと目を逸らされた。この近さではそんなことをしても無駄なのに、本当に可愛い子だ。
「夜勤なんて珍しくもねえじゃねえか。そんなに、俺がいないと淋しい?」
「そういうわけでは…、」
「ライルと二人きりだから?」
 核心を突いてやると、隠しきれず相手が息をのんだ。言いよどむ彼を虐める気はないのだが、つい追い打ちをかけてしまう。半ば確信犯だった。夜勤を入れたのもそれが目的のひとつなのだから。我ながら強引な手段だと思ったが、それくらいしなければ、ティエリアがいつまでもこの状況に慣れようとしないのも、事実で。
「大丈夫だよ。ちょい軽いけどいい奴だって何度も言ってるだろ?」
 膝立ちのままふわふわと頭を撫でてやると、鋭い目つきがやわらかく細められる。そうして甘受するくせに、手が離れると慌てて取り繕うように睨むものだから可愛い。抱きしめてキスしてやりたくなるが、今は話すときだと思ったので、不器用なティエリアの言葉を待った。
「……彼個人の問題ではない。嘘を吐くのが得意でないだけだ」
「と、言いますと」
 聞き返す俺の鼻っ面に、ぺしりと薄いカードが叩きつけられる。どうやらケースに入れて肌身離さず持っていてくれたようだ。ライルが俺のために貯めたという金が引き出せるカードは、本来ならば俺が持っているべきものだった。しかし、どうしたらいいのかも分からず、今はティエリアに預かってもらっている。
 本来ならば兄弟間の問題に巻き込むなんてルール違反だろう。しかし、本当にどうすべきか分からず途方に暮れているのだ。俺がエゴでやったことを、厚意と解釈され感謝されても困る。与えられるなら与えられるままでいて欲しいのだ。ティエリアのように。
 叩きつけられたカードをそっと撫でて、ティエリアの部屋着の胸ポケットに忍び込ませる。そのまま身体を引き寄せて抱きしめてやると、意外にも抵抗されず腕が背中に回った。ずぐ近くにある薄い耳に、ずるく囁いた。
「ごめんな、ティエリア。嘘吐かせて」
「そう思うなら……いや、もういい」
 彼は言葉にするのが少し苦手なようで、言いよどんで本心を飲み込んでしまう。普段はそれを引き出してやりたいと思うのだが、今はそれに安心してしまった。そうして甘えることは多分間違っているのだが、それでも、今はこの三人の空間を壊したくはなかった。それが様々な思惑や嘘や我慢が絡み合う、危ういものだと分かっていたから。分かっていても。
「…俺と同じ顔なんだから、俺と同じようにしときゃいいんだよ。他人なんて、意識しなくても」
「同じなら、寝室に招き入れても?」
 抱きしめられたままくすりと笑う。俺の乱暴すぎる括りに、彼なりに爪を立てているのだろうと分かった。だから俺も少し意地悪く返す。
「冗談が上手くなったな、ティエリア」
「…冗談ではないかもしれない」
「冗談だよ。お前、嘘が苦手って自分で言ってただろ?」
 そう言うとティエリアがまた息をのみ、その仕草が可愛くてこちらも笑った。抱きしめたままゆっくり身体を倒すと、ベッドが大きく揺れる。俺の下にある赤い目はまっすぐにこちらを見つめ、出方をうかがっているようだった。シーツに散った濃い色の髪を素直にきれいだと思った。
「…お前さ、声抑える自信ある?」
「いつもは出せと言っているのに、奇妙なものだな」
 そういって笑う彼の姿を誰にも見せたくない。鍵は彼のためだと思っていたが、案外そうでもないらしい。己の勝手さに苦笑しながらも部屋着のボタンに手をかけて、ひとつひとつ外していく。しがみつかれたときは何とか我慢できたのに、冷たくされると触れたくなるなんて難儀な性格だ。
 そうして現れた、雪のように白い肌をさあとなで上げると、ティエリアはくすぐったそうに身をすくませた後、なんだか久しぶりだ、と呟いた。実際にはライルが来てそれほど経ってはいないのだが、傍にいるのにこれほど触れ合わなかったことがなかったのだ。
 やはり防音工事をするべきかと思いながら、ティエリアの腕から部屋着を取り去った。そうして露わになった裸身は少し痩せていて、そういえば最近食べる量が減っていたと思い出す。
ティエリアには我慢を強いていて、ライルには嘘を吐いている。そんな状態でも、三人でいられることが嬉しかったのだ。



 俺にさんざん前を弄られ、舐められ、飲み干されたティエリアはもう限界が近いようだった。自分からベッドの上に四つんばいになり、奥の部位を晒してみせる。そこは彼自身からあふれ出る腺液と、俺の唾液でじっとりと濡れている。
 そうして背後にいる俺に、濡れた赤い瞳を向ける仕草はひどく淫らで、急かす言葉がなくとも十分に煽られた。潤滑油代わりのローションを塗りたくると、細い身体がびくんと跳ねた。しなった背に唇を這わせながら指先で奥を探ると、んん、と苦しげな呻きが漏れる。
 苦しいのかと思い背中から唇を離し、様子を伺うと、ベッドに顔を伏せた彼はシーツをきつく噛みしめていた。与えられる激しい快感に声をあげまいとする様は、赤く染まった耳と共にどこか痛々しい。そうさせているのは紛うことなく俺であり、同情するのは間違っているのかもしれない。それでも、今ここにある細い身体を抱きたかった。彼の色々な不安を少しでも宥めるには、きっとこうして触れ合うのが一番いいのだ。
 奥に差し込んだ指を曲げてある一点を刺激すると、くぐもった声が高くなり彼の足の間のものが弾けた。ぼとぼとと白濁がシーツに落ちていく。明日、そのシーツを洗濯できないことを申し訳なく思いながら、今度は浅く入り口の辺りでかき回してゆっくりとほぐしていく。
「そこ…きもちい、ん…」
 鼻にかかった甘い囁きに耳の辺りがどくどくと鳴る。ひくりと痙攣しながらゆっくりと指を飲み込んでいくそこを、一気に貫いてやりたい衝動に駆られた。すんでのところで押しとどめて、ぐるりと入り口を撫でたり抜き差しを繰り返して馴染ませる。気持ちよさげにうっとりと目を細めながら、唾液と共にシーツに息をしみこませる彼をしばらく眺めて、それから身体を反転させた。
「ロックオン…?」
 突然仰向けにされた彼がきょとんと目を見開く。そういう表情ばかり幼くて、まるでいけないことをしているような気分になった。こうして隠れるようにしてセックスするのも、壁の薄いアパートで二人きりで暮らしていた頃を思い出す。あの頃は不意に与えられたプレゼントのような相手を手放すまいと、唯ただ距離を縮めようと、夢中になって身体を貪っていた。ティエリアの中にある空洞を埋めるためと、何度も言い訳をしながら、本当に埋めたかったのは俺自身のそれだ。
 しかしそれはもう埋まったのだと、絡め取った指の付け根にある指輪に触れて思う。今の自分は怖いくらいに幸せで、失ったと思った家族も戻ってきて、何一つ欠けているものはない。ティエリアがいて、ライルがいる。この状態が永遠に続けばいいと願う。それが今は歪みの上に在ったとしても、時間を重ねればいずれ正されるものだ。だって今はこんなにも幸せで、満ち足りていて―――、
「ロックオン」
 ティエリアに名前を呼ばれ、目尻を拭われる。そこで初めて自分が泣いていたことに気がついた。ぽとぽとと水滴がきめの細かい肌に落ちていく。ティエリアは驚いたような、困ったような顔をしながら、そっと俺を引き寄せた。二人分の重さを素直に受け止めて、ベッドがまた波打つ。シーツの上に散ったティエリアの髪に鼻を埋め、背をなで上げる手のひらの、その優しさを甘受した。
「……どー考えても、泣くとこじゃねえな」
 ずびびと鼻を啜りながら低く呟く。ティエリアの綺麗な髪に鼻水がついてしまわなかっただろうか、とどうでもいいことを考えた。
「私の冗談が、そんなに嫌だったか」
「はは、そーかもな。ライルには彼女とられてばっかだったし」
 彼らしからぬ優しい冗談に甘えてみる。ティエリアは撫でる手を止め、身体を密着させるほどにきつく俺を抱いた。汗で濡れた肌がぴったりと貼り付いたばかりか、お互いの中心がぶつかり合い、濡れた音を立てるのにも構わずに。べとついた感触に、伝わってくる高い体温に、彼がいるのだ思った。いとしいと思った。
「あなたは愚かだ、ロックオン・ストラトス」
「お前は優しいな。ティエリア」
「違う。きちんと呼べ」
 俺の癖毛をかき分けて、耳に直接言葉が吹きかけられる。息のこそばゆさと、熱と、言葉に乗せられた感情に、また鼻の奥が痛む。それはすぐに液体になってこぼれ落ち、シーツに馴染んだ。どうか彼に気づかれないようにと祈る。
「ティエリア・ストラトス」
「…そうだ。私は、あなたの家族だ」
 引き寄せた腕がやがて、そっと頭を撫でてくれる。そのやさしい感触に、幼い頃両親が撫でてくれた手のひらを思い出した。やはり今はどうしようもなく、幸せだった。生きていくために殺していたもの達を、ひとつひとつ生き返らせてくれたのが、ちいさな指輪を填めてくれているティエリアの手のひらだった。
 こみ上げてくる感情を言葉にすることも出来ないまま、欲しい言葉を与えてくれる場所にキスをする。俺の言葉は迂遠なものばかりで、こうして触れ合うことでしかきっと、埋められないのだ。触れるだけのキスを何度も繰り返し、それを少しずつ深くしていきながら、絡め合った足と手のひらで奥を探っていく。
 ベッドサイドにしまってあったゴムの袋を口で千切り、中身を填める手間さえも惜しい。やがて応えるように開かれていく膝を押し上げ、呼吸を合わせて貫いた。
「ンッ……!!!」
 侵入する感触に漏らされた声を、深いキスで飲み込んだ。シーツを噛ませることなんてさせずに、最初からこうすれば良かった。唇を離して酸欠と快楽で溶ける双眸を見つめた後に、また口づけを与える。何度も、何度も繰り返しながら抜き差しを繰り返す。先端で浅いところをかき回した後に、最奥まで一気に貫くと、細い腰が大きく跳ねた。
「ああっ…あ、ぅん」
 タイミングが合わずに、塞ぎ損ねた唇から甘い声が漏れる。慌ててティエリアが口を塞ぎ、俺は思わず苦笑した。それほど大きくはなかったから、どうか隣に聞こえていなければ良いのだが。 
 壁の向こうの様子を探ろうと動きを止めると、ティエリアがもどかしそうに俺の背中に爪を立てた。鈍い痛みと共に我に返り、繋がったままの部位を確かめる。何度も収縮を繰り返しやわらかく俺を受け入れるそこはもう限界が近く、形のいい眉が苦しげに寄せられる。達するのも時間の問題だろう。
 大きく酸素を吸い込むために開かれたそこから舌を引き出し、舌を直接絡め合いながら、いっそう奥を抉っていく。いつもは痛いくらいに響く俺の名前は紡がれず、唾液が絡み、こぼれ落ちる音だけが鳴った。いつもいとおしげに俺の名を呼んでくれる唇を塞ぐのは、僅かの罪悪感があった。しかしそれも、頭が白くなるような快楽に押しつぶされていく。腹の辺りで濡れる感触がし、何度目か分からず細い身体が痙攣する。それを見計らって、俺もまた吐きだした。





「まだ出てなかったのかよ」
 洗面所で背後からライルに声をかけられ、思わず身をすくめた。不意打ちだった上に、ちょうど汚れたシーツを洗濯機に突っ込んでいたところだった。ぼとりと槽に吸い込まれていくシーツを気にしながら、なるべく自然に見えるように笑う。しかし、ライルは相変わらず人を食ったような笑い方で、さらりと続けてみせた。
「昨日、ティエリアちゃんと張り切りすぎた?」
「……………聞こえてたのか」
「勘違いすんなよ。空気読んで途中から飲みに行ったんだぜ。むしろ褒めて欲しいくらいだわ」
 確かに英断ではあると思うが、素直に感謝することも出来ず、ため息を吐きながら洗濯機のスイッチを入れる。そこで洗剤を入れ忘れていたことに気づき、慌てて一時停止した。ああ、だめだ。相当動揺しているらしい。
「ありがたついでに、そのネタでティエリアをからかうなよ。あいつ、潔癖なんだから」
「ふーん? 潔癖なあの子をいやらしく調教したわけか」
「ライル!」
 思わず声を荒げてしまったのは、もう、みっともないことこの上ないが―――図星だったからだ。人間、本当のことを茶化されたときが一番傷を抉られるのだ。十年のブランクがあるとはいえ、流石双子の兄弟。お互いの泣き所をきちんと分かっている。
 くつくつと笑った後、子どものように舌を出してライルは頭を振った。こういうときのライルに、俺は勝てた試しがない。
「言わねえよ。約束する」
「手ェ出すなよ」
「出しません。オレ、ティエリアちゃんより兄さんのコト好きだもん」
 茶化すような口調で、けれど顔は笑っていなかった。だからどういう反応をすればいいのか分からず、しばらくライルを見つめている。ぐおんぐおんと洗濯機がシーツを水流でかき回す音が、微妙な沈黙の中を漂っていた。
「好き好き兄さん。あいしてるー」
「…兄貴をからかうな」
 ぎゅっと抱きつこうとする大きな身体を払いのけてから、時計を一瞥する。出勤時刻はもうすぐで、ティエリアが起きてくるのはもう少し先だろう。せめてキスのひとつでもしてやりたかったが、ライルが傍にいるのでやめておく。何より、中途半端に覚醒した彼が、また一糸まとわぬ姿で寝室から出てこられても困るので。
「ライル、」
 俺の服に袖を通し、ソファに横になってくつろぐ姿は、昔からこの家にいたかのように馴染んでいる。その適応能力の高さを少しはティエリアにも分けてやって欲しいと、どうしようもないことを祈りながら。
「ティエリアと仲良くな」
「はぁい」
 やたら茶化すような、幼い返事に余裕を感じて安堵した。きっと彼なら上手くやってくれるだろう。不安に思うことなど、何もないのだとティエリアも理解するに違いない。だって俺たちは家族なのだから。
 どんなにいびつでも、それは変わらない事実だった。そう、俺は信じていた。