破壊力のありすぎるジョークから立ち直った俺を襲ったのは、寒々しいほどの恥ずかしさだった。泣きすぎて鼻の奥が痛み、指で鼻の付け根を揉んでみると鼻水がねちゃりと音を立てる。それをすすればいまだに泣いているようにも聞こえて、心配そうにこちらを見るティエリアの視線が居た堪れない。
「大丈夫」
 笑って見せれば、ずっとおろおろしていたティエリアもようやく笑顔を見せてくれた。泣きじゃくった気恥しさのせいか、ひどく優しい笑顔に見えてどきりとする。そういえば、二人きりになるのは久しぶりだった。人前では手をつなぐことも隠れてするようにしているので、二人並んでソファに座るシチュエーションも久しい気がする。
 ティエリアもご機嫌なようだし、と手を伸ばしかけるが、ティエリアはするりと立ち上がってキッチンに向かってしまった。俺が泣き喚いたから飲み物でも取ってきたのだろう。あるいはライルと作った夕食の準備かもしれない。
「ロックオン、飲まないか」
 きん、と硬質な高い音に振り返ると、ティエリアが細身のボトルを左腕に、ワイングラスを二つ右手に持ちにくそうに持っていた。俺やライルがするのを真似てグラスを二つ三つ同時に持とうとしても、手の大きさと器用さが原因でティエリアはいつもそれを割る。慌てて俺が受け取ろうとすると、ティエリアはいつものように頑なにそれを拒絶することもなく、俺の手にグラスを委ねた。
「どうしたんだよ、これ」
「ライルと夕食の買い物に行ったときに彼が見繕ってくれた。あなたが勧めるのは苦くて飲めないと言ったら、これなら僕にも飲みやすいだろうと」
 グラスをローテーブルに置いたあと、コルクを開けようとするおぼつかない手からボトルを奪う。最近、ティエリアは仕事を奪うと機嫌を悪くするが、今日は随分な上機嫌で甘やかすことを許してくれた。
「いいのか、飲んじまって」
「いいんだ、飲みたい気分なんだ」
 ぽん、と軽い音と共にコルクが抜ける。ティエリアが差し出したグラスの細い柄には白い指が絡んでいて、そこには俺のと同じ指輪があった。グラスを覗き込んですこしこちらに傾けられた頭の、どこでもいいからキスをしたい衝動に耐えながら、そっと注ぐ。
 かすかに甘い、果実の香りのするスパークリングワインだった。ライルは俺をティエリアの保護者としてよく説教したがるが、あいつの選んだというこの酒も十分少女趣味だと思う。
「乾杯」
「ああ、乾杯」
 ちん、と音を立ててグラスを交わし、口をつけた。香りと変わらず舌に甘く、酸も強くはない。飲みやすいが物足りなさを感じはするが、酒を変えようとは思わなかった。すぐ隣にあるティエリアの肩は少し身じろぎすれば接して、そっと背中に手を回しても服越しの肌はそれを受け入れてくれている。とても心地良い時間だった。
「…っは」
「っておいおい、ティエリア」
 一息でグラスを空けたティエリアの頬は既に紅潮している。俺が戯れになめさせる程度にしか飲んだことがないのに、一気飲みなんてしたら軽い酒とはいえ倒れてもおかしくはない。だが俺の心配をよそに、ティエリアは上機嫌でにっこり笑い、空のグラスを差し出してくる。
「…おいしい?」
「とても。あなたの弟は味覚が良いんだな。料理が上手いはずだ」
 グラスの底でテーブルを叩いて催促されたので仕方なく注ぎ入れると、今度はさすがに一息で空にはせず、二口ほど飲んで息を吐いた。細身のボトルはそれだけで半分ほどに減っている。気に入っているようだし、上機嫌で飲む酒は悪くない。それに何より頬を赤く染めてにこにこ笑うティエリアは可愛い。俺も慣れない甘さを舌で転がしながら飲み進めた。
 ティエリアが酔ったところは見たことがない。俺が飲むものをちらりと舐めさせれば苦いと言って遠ざける。それが今は笑い上戸になっているのか、くすくす笑って俺の肩に肩や頭をぶつけてきた。身体が揺れてグラスから酒が零れそうになるので、背中に回していた手を肩に回して抱き寄せる。
「あはは、」
 肩にぴったりと頬を寄せて、ティエリアの手も俺の背中に回った。甘える動物みたいに頬を摺り寄せてくるティエリアのこめかみが、唇のすぐそばにあるのでようやくの思いで口づける。わざと音を立てるとティエリアはくすぐったそうに身を捩って、ソファに乗せた腰を俺に押し当ててきた。
 このくらいの酒では、俺はほとんど酔わない。ティエリアは酒に弱いのか、はたまた飲む前から上機嫌だったことを考えると単にはしゃいでいるだけかもしれないが、いつも以上にスキンシップを求めてくる。二人きりの時間が、最近めっきり減っていたことに不満はなかったが、俺が感じていたような淋しさや物足りなさをティエリアも感じていたなら、こんなに嬉しいことはない。
「うひゃっ」
 耳の下から首筋に沿って、甘がゆいような奇妙な感触があった。慌てて顔を引き離そうとしてもその感覚は次いで顎や鎖骨に追ってきた。
「こらティエリア、噛むんじゃない、」
 ティエリアが顔を伏せた場所から襲ってくる奇妙な感覚の正体はすぐにわかる。淡く緩く、動物が歯を慣らすためにするような甘噛みを繰り返しながら、ティエリアの身体は俺の制止を無視して膝の上まで乗り上がってきた。大腿骨にティエリアの尻の柔らかな感触を感じ、首にかじりついてきたティエリアに応えて細い腰に腕を回す。
「ティエリア、くすぐったいって」
 耳にまで来た歯を首を振って払い、ついでに頬に思い切り音を立ててキスをした。唇を離すと、ティエリアはくすくすと笑いながら手にしたグラスを口元に運ぶ。
「もう止めとけ。この酔っ払い」
「やだ、」
「やだじゃない」
 俺の手からグラスを庇う仕草も幼かった。俺の膝の上に乗って、俺に腰を抱かれている状態では抗いようもないのに。
 あっさりと俺の手に渡ったグラスを、俺は一気に飲み干す。甘い香りが口腔から鼻先まで入り込んでむせそうになったが、ティエリアにこれ以上飲ませるのは気が進まない。ティエリアの身体越しにグラスを置き、さてどうたしなめてやろうかと思っている俺の頬を、ティエリアの熱い手が挟む。
「はっ、んん、む、んー…」
 重なった唇からは同じ甘い果実の匂いがした。濡れた唇を容易く割って侵入する舌も甘く、それが歯列の隙間まで舐めて俺の口腔内に残る酒気を貪欲に吸い取っていく。絡んだ舌は温く、強く吸われると甘さと相まって俺に痺れるような眩暈をもたらした。
「ふふ、」
「…そんなにおいしかった?」
「とても」
 酔って潤んだ瞳で笑うティエリアの顔は、さきほどまでと違って妖艶に見える。俺が腰に回していた手をそのまま下に滑らせ、俺の太腿に乗ったそれに指が少しめり込むくらいの力で触れても、腰をわずかにしならせるだけで抵抗はなかった。
 ボトムの縫い目を指でなぞり、足の間をゆるゆると刺激すると耳に熱い吐息が吹きかけられる。空いている手では服の上から胸の輪郭をなぞり、人差し指の腹で中心を押すと、それはすでにふっくらと立ち上がっていた。ティエリアがもぞもぞと動いて俺の身体の中心を太腿で圧迫する。すでに兆しを見せていたそれは苦しそうに喜びに震えた。
「久しぶりに、ここでしていい? ……、」
「言ってから後悔するようなことは、言わない方が良いと思う」
「…はい」
「ライルの寝床を汚すのは、良くない」
「…そうですね」
 なぜこうしたスキンシップがこんなにも心地良く愛おしく、何よりも心躍るのか。それは久しぶりだからだ。なぜ久しぶりかといえば、最近は同居人がここで寝起きしているからだ。ここですればいくら何でもライルが察しないわけがないし、ライルに気づかれないよう抑えることなど今の俺には不可能と言っていい。
「ベッド、行こうか」
「ああ」
 ティエリアがするりと俺の膝から滑ってそのままソファに移った。遠ざかる温もりと弾力を名残惜しく撫でながら俺は立ち上がってティエリアに手を差し出したが、差し出された方はソファに腰を落ち着けたまま立つ気配がない。
「ティエリア?」
「歩けない。連れて行って欲しい」
 にっこり笑って両腕をせがむように伸べる姿に、どこでそんな誘い方を覚えたのかと頭痛と、同時にアルコールさまさまだと叫ぶ下半身の喜びを感じた。俺がそこで拒否できるわけもないので、久しぶりに両腕でティエリアの細い身体を抱きあげる。すかさず首に絡む腕も、寄せられる頬も随分熱い。寝室のドアを開ける頃には、すっかりその熱は俺に伝染していた。


 ベッドに下ろしてからも、服を脱がす間も、ティエリアの身体は骨も芯も抜けてしまっているようだった。白い素肌は紅潮して薄紅色に染まっている。
「大丈夫か、ティエリア? 気分悪くないか?」
 とろんとした目はそれでもこちらをじっと見つめていた。何一つ身につけていない身体がもそもそと動き、細い素足がシーツを蹴る。
「大丈夫だ、すごく気分が良い」
 身体を起こすのも億劫らしいティエリアは、腕を持ち上げて俺の胸を指先でなぞった。足の親指がジッパーを下ろしただけの股間を突く。そんなことをされれば、たとえ途中で眠られても留まる余裕などあるはずがない。
「んっ、ああ、ん…」
 覆いかぶさって唇を飲み込むようなキスをした。ティエリアの舌と腕と足がすぐに応え、足は器用に俺の腰からジーンズをずらしていく。露出された下肢をティエリアのそれに押し当てながら、腕は性急に火照った身体をまさぐっていた。
 赤く色づいた胸の先端を摘み、次の刺激を求められるより先に細い腰のくびれを撫で、そこから続く柔らかい場所に指を食い込ませる。俺の腰に絡んで大きく開いた足の付け根をそっと手のひらで包めば、それはもうしっとりと濡れそぼっていた。
「我慢、できそうもねえな」
「もう、無理だ、はやく、」
 仰け反った白い咽喉に痕だできるのも構わず強く強く吸いつく。同時にティエリアの中心を握りこんだ手を上下させれば、そこと唇を当てた咽喉が大きく強く震えた。
「…大丈夫か?」
 弾けて滴り落ちるそれを手のひらで受け止めながら、飛沫で濡れた下腹部を撫でてやると、張り詰めた呼吸が徐々に和らぎ、下肢が緩んでいくのが感じられる。
「大丈夫だ、本当に気持ち良いんだ、すごく」
「じゃあ、続き、する?」
「はやく、」
「りょーかい」
 唇に触れるだけのキスを落としてから、仰向けに寝そべったままのティエリアの腰に腕を回した。濡れた手のひらをなすりつけながら背筋を辿り、やらわかい弾力をかき分けてぬめる指を押し当てる。受け入れるように大きく広げられた足も手伝って、指は簡単にするりと入り込んだ。
 一度吐き出して芯が緩んだティエリアのそれに自分のものを擦りつけながら、侵入させた指を掻き回し、緩んでできた隙間にもう一本滑り込ませる。
「あ、はぁ、ああ…」
 心なしか、ティエリアの声がいつもより大きい気がする。最近はリビングにいる同居人を気遣って行為自体少なかったし、あっても声を必死に押さえさせていた。久しぶりに聞いたティエリアのあられもない声がもっと聞きたくて、指の動きを激しくする。
「ああっ、やだ、なんで、もう、」
「ティエリア、もっと声、聞かせて、な?」
 下肢を離さないようにしながら屈みこんで、腫れた唇に直接囁きかけると、シーツを引っ掻いていたティエリアの指が首に絡んだ。ティエリアの白い咽喉が目の前にあり、入れている指を曲げて内側を刺激すると、声と共にそれが激しく上下するのが見える。重ねている下肢も再び頭をもたげているのがわかって、声を求めて俺はティエリアの胸に顔を伏せた。
 指で刺激して立ち上がった先端を吸い、周囲の柔らかい皮膚に歯を立てる。歯で追いこんだ先端を舌で転がす。組み敷いているティエリアの身体が激しく動き、唇と指と絡んだ足とがそれを伝えた。指はもう三本目までを悠々と飲みこんでいる。
「ティエリア、おまたせ、力、抜けよ」
 胸から唾液を引きながら唇を離し、指を引き抜く。濡れてぬめる手をシーツになすりつけて拭い、くたりとシーツに沈みそうになるティエリアの足を肩に担いだ。
「ロックオン、あ、ああ……」
 赤く濡れたティエリアの口が愛おしそうに俺の名を呼ぶ。ぐずぐずに濡れた下肢に限界まで張り詰めた中心を押し当てると、そこはひくりと震えてそのままそれを受け入れ始めた。
「ああ、あー……」
 担ぎあげた足を揺すって、奥へ奥へと進む。赤い鬱血が残る咽喉がか細く震える声を発し、赤く染まってところどころを濡らしたティエリアの肌が震えながら受け入れる。包みこまれると同時に貪欲に吸いつかれる感覚に、脳の神経が焼き切れそうになるほどの快楽を覚えた。
 一番奥まで進み切ると、俺が動くよりも先にティエリアの身体が収縮を始める。もう少しこの温い状態を維持したかったが、最初に一度しか解放されていないティエリアも、いまだ達していない俺も限界だった。
「あっ、あっ、ああ、」
「っ、ティエリア、ほら、」
 接している壁や床が軋むほど激しくベッドが揺れる。萎えそうになる手で懸命に俺にしがみつくティエリアの爪が肩に食い込みんだ。
 台風の夜、家が壊れるのではないかというほどの強風が吹いたことがある。リビングの広く取られた窓際にいたティエリアは、窓ガラスが風で揺れるのに酷く怯えて肩を震わせていた。その肩を抱きこんだ俺のシャツを、強がりながらも決して離そうとしなかった指の力を思い出す。
 俺はますますティエリアを激しく突き上げた。あの夜のような、壁が壊れるんじゃないかと思うほどの激しい震動が止むのと同時に、部屋には甲高い嬌声が高く高く響いた。




「…だいじょぶか?」
 今夜で何度目になるかわからない問いかけだった。彼と行為に及ぶたび、彼はこちらの身体を気遣うのですっかり聞き慣れてはいるが、今夜のそれはいつもと少し違う。
「すこし、きもちわるい…」
「吐き気は?」
「吐きたい…けど、出ない…」
「おっけ。んじゃこれ飲んで。吐きたくなったらすぐ言えよ」
 差し出されたコップに口をつける。ただの水をここまで旨いと思ったのは初めてだった。一気に飲み干したい衝動に駆られるが、嗄れかけた咽喉がそれを許さない。結局一口ずつ飲み下すしかなく、飲み終わって息を吐くとロックオンが差し出した手にコップを返した。
「明日は頭痛とかするかもしれないけど、そうなったらカタギリさん直伝の特効薬作ってやるから」
「特効薬?」
「そ。大学の友達に教えてもらったっていう、日本の。すげえ効くんだってよ」
 綺麗に拭われた身体にパジャマのシャツがかけられ、ボタンが留められていく。そこまでしなくてもと思うが、ボタンを留め終えた手がさらりと髪を撫でるのが心地よくて文句を忘れた。
「どうだった? 初めて飲んだ酒の味は」
「旨かった」
「だろうな。お前にしては珍しく、すげえはしゃいでた」
 肩に手を添えられ、そのまま寝るように促される。肩から離れ、上掛けを顎まで引き上げた彼の手をそっと捕えた。そのまま離れてしまうのは、何だか勿体ないように思う。
「…はしゃいで、いただろうか」
「ああ、すっごく。…おかげで、俺は良かったけれど?」
 不器用に小指と薬指しか捕えられなかったこちらの手を、ロックオンは包むように握り直してくれた。そのまま隣に潜り込むロックオンに耳元で囁かれ、恥ずかしさよりもこそばゆさを覚える。ライルを迎えてからも眠る距離はさほど変わっていないのに、いつもより少し近いような気がした。
「はしゃいでいたかもしれない」
「俺も初めて酒飲んだ日はそうだったよ」
 はしゃいでいたかもしれない。ロックオンに対して悪戯をするという発想は、自分にはとてもできないもので心が躍った。 ライルはとても楽しそうに話を持ちかけてきて、それは彼とロックオンを共有できているという安定感を僕にもたらした。
 ロックオンが僕たち二人を抱きしめてくれたとき、その安定感を確かに感じた。彼らといてもいいのだと、その全てで肯定されているようで、とてもとても心地良い。ロックオンの涙が苦痛や哀しみではなく安堵のそれであることはわかったので、彼の涙を拭いながらも僕はそう思っていた。
 アルコールだけのせいではないのだ。ライルが外出したことで、きっと一期に弾けた。ライルならきっと呆れるような、僕をダメにするロックオンの甘やかし方で思い切り甘やかされたいと思った。ライルのことを疎んじる気持ちは欠片もない。そのはずなのに、この矛盾は何だろう。
「もう寝ちまおう。二人が作ってくれた夕飯は明日。な?」
「ロックオン……」
「眠いだろ?」
 瞼の上にキスをされ、自分が目を閉じていることに気づいた。ごく近くにロックオンの吐息を感じ、首の下に彼の腕が敷かれる。脇腹の辺りも彼のそれと触れ合い、息を吸い込めば彼の匂いに嗅覚が支配された。
「そうか」
「ん?」
「ひとりじめ、できたんだ…」
 ライルと彼を共有することが楽しかったのに、今夜僕は彼を独り占めしていた。甘やかしすぎる彼に反発して、甘やかさないライルに感謝したくせに、今夜は彼に甘やかされたいと思った。
 それは大きな矛盾だったが、今は彼に抱かれる心地良さに抗うことはできず、それ以上何も考えることなく眠りについた。