そもそも何がいけなかったのか、原因を探れば呆れるほど存在した。
 模擬戦で隊長に嘔吐するほどこっぴどくやられたとか、その後隊長の粋な計らいで空っぽの胃にウォッカを流し込まされたとか、技術顧問の気遣いにより命からがら帰宅したものの、悪酔いついでにそのまま同居人と事に至ったとか。ついでに言えば今朝は例年にない冷え込みで、同居人に毛布をとられていたとか。

 そういうものが全部ない交ぜになって、この状態があるのだと思う。眩暈がやまず服に腕を通すのも一苦労だった。ボタンを留めるのを諦めて手探りで携帯端末を捜し、仕事先に連絡を入れる。昨夜、帰宅した勢いでベッドに入ったことだけは幸運だった。端末をいつもの保管場所に置いていたら、とてもたどり着くことが出来なかったに違いない。
 そんなことだから、無論、朝食の準備や洗濯などが出来る筈もない。寝起きの悪い同居人を揺すり起こして、自分から遠ざけるだけで精一杯だった。昨夜散々貪った相手に冷たい仕打ちかもしれないが、万が一感染りでもしたら笑えない。同居人は病院どころか外出すら積極的ではないのだから。
 幸い、事情を話して朝食はカロリービスケットと牛乳を摂るよう指示をしたら、納得してくれたようであっさりとドアへ向かった。一糸まとわぬ姿でふらふらと出て行こうとする背中に、慌てて昨日脱ぎ捨てたシャツを投げつける。彼の寝起きの悪さは本当にどうにかならないものか。見ているこちらが危なっかしい。
 ドアの閉まる音がして、ようやく安堵の息を吐いた。同時に熱が上がっていくのを感じる。頭はぼうっと加熱していくのに、背筋はぞくぞくと寒気がする。完璧に風邪を引いてしまったようだ。開いたままの胸元からじんわりと汗が滲み、体温を奪っていく。まずい、と思いながらも指一本動かすことさえ億劫で、目を瞑るのがやっとだった。
 このまま眠ってしまえば少しは楽になるかもしれない、と思うのだが、頭蓋骨を鋭い金属で内側から抉られるような頭痛のせいで意識も手放せない。熱を伴った息を浅く吐いて、枕に頬を押し付ける。鼻孔を掠めるシャンプーの匂いに、他人を感じて安堵した。身体が弱ると心も弱るようだった。
朦朧とした意識とシーツに残る肌の匂いが、つい昨晩の行為を蘇らせた。男臭い現場からようやく抜けられた喜びと、酒が及ぼす多幸感から、同居人に頭の悪い口説き文句を繰り返していた気がする。可愛い、最高、好きだ、世界一愛してる――数々の恥ずかしい台詞を反芻しながら、あんなに酔っていたのに全て記憶している己の脳を呪った。
 そんな俺を怪訝そうに見ていた同居人を、ベッドに押し倒したところまでは覚えている。しかしそこから先の記憶は断片的にしか存在しなかった。桜色に上気した肌。快感に潤む赤い目。変声期のような掠れた吐息。まだ記憶に新しく、手を伸ばしたら触れられそうに生々しい。
(……まずい)
 全身が倦怠感に支配され、寝返りすら満足に打てないというのに、下肢が存在を主張し始めていた。こんなところばかり健やかな自分が本当に恨めしい。風邪菌が理性の壁や人間らしさを取っ払ってしまったようだ。あの程度の妄想で勃つなんて。
 頭を抱えている間にもその場所には熱が籠もっていく。しかしこの身体では処理も満足に出来ない。一度自覚してしまうと思考はどうしてもそちら方面へと飛んでしまう。救いようのないことに、放り投げたままのティッシュやら脱ぎ捨てたままの服やら、触媒には困らないのだ。げに本能とは恐ろしい。
 風邪で薄くなった理性を総動員して性欲を押さえつける。無防備な同居人に右往左往していた、引っ越し前のことを思い出さざるを得ない。何故今になってこんなことに苦しまなければならないのか――。

「経過はどうだ」
 枕に鼻を埋めて懊悩していると、観察するような無感情な声が唐突に降った。自分との戦いを繰り広げていたせいで、ドアが開いていたことにようやく気がつく。いつの間にか、ベッドの傍に同居人――ティエリアが立っていた。そろそろと視線だけをそちらにやって、俺は、凍り付いた。
 風邪が感染るとか、これまでの懊悩を全て見られていたとか、そういうことが全て吹っ飛んでしまった。傍らにあるのは、昨夜貪った見とれるような白い裸身でもなく、投げつけたシャツを着ているのでもない。無防備さには呆れるが、それならば幾分か良かった。まだ予想の範疇にあったのだから。その恰好は全くの予想外の姿だった。
 白い。ひたすらに白い、身体にフィットした生地を胸の上のボタンで留めている。細い腰と形の良い尻はタイトスカートに収まり、曲線を悩ましく主張していた。すんなりとした足はストッキングに包まれ、そこからガーターベルトが伸びている。看護服というにはやや機能性に欠けたスタイルから、その用途を思い知る。
 いつか、基地で見た姿と全く同じだった。あのときはホロモニター越しであったり暗がりだったりしたが、直接こうして明るい場所で眺めると、改めてその異常さが際だつ。彼の性別や身体的特徴は熟知している筈だが、それにしても――。
 何故、こんなにも違和感がないのだろう。
「………………お前、なにやってんの」
 呆然とそれだけ吐き出すと、相手は誇らしげに笑って胸に手を当てる。その異常さを本人が一番理解していない、堂々とした振る舞いだった。
「貴方を治療しに来た。これは、治療のプロフェッショナルの制服だ」
 間違ってはいない。
 間違ってないないけれど――何かが違う。
 そんな俺の声なき抗議をさらりと無視して、ベッドの上に乗り上げる。マットが重みでたわみ、端正な顔に覗き込まれた。睫毛の長さまではっきりと分かる距離だ。感染ってしまうという理性と口づけたいという本能の狭間で葛藤する。
 しかし相手はそんなこちらを気にも留めず、耳の中に体温計を押し込んだり、顎をとらえて喉の粘膜を観察したりしていた。逐一チェックしては、端末に入力している。その表情は真剣そのもので、冗談のような恰好とはかけ離れていた。どうやら、本気でこれを制服だと思っているらしい。
 その生真面目さを見ていると、欲情している己が申し訳なくなってくる。自制しようと思うものの、近づいてくる匂いの甘さや体温に否応なく胸が跳ねてしまう。体調の観察に夢中になって、次第に近づいていく身体が危なっかしい。頼むから馬乗りになって首筋に手なんて当てないで欲しい。
「脈が早いな。唯の風邪だと思っていたが、心臓に疾患でもあるのか?」
 つめたい指先で首に触れながら、そんなことを真顔で問うてくるからこの子は本当にタチが悪い。唯でさえ苦しいのだから、これ以上負担をかけないで欲しい、のに。
 破れかぶれになって、脈をとっていたティエリアの手を掴む。熱の籠もった身体には体温の低い彼の手は心地よい。そのつめたさをもっと味わっていたいと思うのだけれど、指先に力が入らずに上手くいかなかった。霞む視界を瞬きで区切りながら、真剣な眼差しで相手に語りかける。
「治療して、くれるんだよな」
「無論だ。徹底的に治療させて貰う」
 迷いのない返答に、内心でガッツポーズを決めた。握り拳を作るだけの力もないので、あくまで内心で。ティエリアから見れば、さぞ弱々しく殊勝な患者に見えるだろう。実際はそんな可愛いものでは断じてないのだけれど。
「見ての通り俺は風邪をこじらせて動けない。これを併発させると、すげー厄介なんだよ。お前の力が必要だ、ティエリア」
「任せろ。俺はプロフェッショナルだ」
 そう言って胸を張る様がとても誇らしげだ。可愛くて、重みで内臓が呻いていることなど忘れてしまいそうだ。見えそうで見えない絶対領域を注視して何とか意識を保っていることは内緒だ。欲情していることは申し訳ないが、そのお陰で気だけは病原菌に負けていないのだから許して欲しい。
「治療だと思って、処理、してくれないか」
 真顔で、吐き出した。頬が赤いのは発熱のせいだけではあるまい。俺の上に乗り上げたティエリアの、ちょうど真後ろ辺りで存在を主張しているモノが哀しくそそり立っていた。ああもう、これは半勃ちってレベルじゃない。思った以上にナースがツボだったようだ。仕方ないだろう。人間の出来た技術顧問とは違い、俺は所詮俗物なのだ。
 肝心のティエリアは、真後ろと俺を見比べて、きょとんと目を見開いている。透明な赤い瞳は幼さすら見え隠れし、今更ながらに罪悪感がこみ上げた。しかし撤回することも出来ず、沈黙ばかりが気まずい。
「えーと、つまり……………しゃぶってください」
 どうやら、ティエリアのプロ精神を刺激するやり方は上手くいかなかったようだ。回りくどい言い方が駄目だったのかと思い、わかりやすく言い換えてみる。なるべく殊勝に。哀れみを誘うように。
 しかし、純粋だった双眸がたちまち剣呑な光を灯していったのを見てすうと胸が冷えた。彼は純粋で極端で、若干単純である分、それを茶化されたり利用されたりすると途端に不機嫌になる。そのことを忘れていた。やはり熱に浮かされた頭では駄目だ。
 俺に大人しく握られていた白い手が、思い切り握りしめられて振り上げられる。視界の隅で、俺の贈った華奢なリングが光った。

 ゴスッッッ!!!

 そんな鈍い、間の抜けた音がして、頬が再加熱する。職業柄殴られるのは慣れているので口の中は切らずに済んだが、金属が思い切り当たって痛い。愛情表現として贈ったリングが武器になるなんて思いもしなかった。やはり首から提げて貰った方が安全だったかもしれない。
 ついでに言えば、衝撃で少しだけ出てしまった。マゾヒスティックな趣味はない筈だが、理性が曖昧になると、いろいろなもののタガが外れやすくなるようだ。苦しみが軽減されて良かったというべきなのか、新たな性癖に葛藤すべきなのかも分からない。
「利き手は避けてやった。感謝しろ」
 ベッドから立ち上がり、殴った手を払いながら、ティエリアが言い放つ。そのせいで更に痛い思いをしたのだが、敢えて抗議しないでおいた。約束通り指に嵌めてくれたのが嬉しい――というのもあったが、それ以前に抗議するほどの余力もなかったのだ。
 腫れ上がる頬をなるべくシーツに触れさせぬよう、ろくに動かぬ身体を捩らせて寝る位置を考えていると、突然肩を押し付けられ、上からぺたりと湿布が貼られる。火照った頬にその冷たさは心地よく、それ以上に治療が続行していたことに驚いた。
 相変わらず、こちらを見下ろしてくる目は湿布と同じくらい冷たいが、傍にいてくれるだけで安堵する。痛む頬を無理矢理引き上げて、笑みを作った。
「……感染っちまうな」
「治療後、粘膜等の消毒を徹底的に行う。基礎体力、抵抗力も問題は見られない。それより、」
 言葉を切って、不意にこちらから目を逸らした。少しの沈黙の後、囁くようにボリュームを落として続けた。
「それより、貴方が心配だ」
 一瞬、殴られて耳がおかしくなったかと思った。もしくは鼓膜の振動を言語として受け止める脳の一部がいかれたのかと思った。誰だって、思い切りぐーで殴られた後にそんな台詞を言われるとは夢にも思うまい。
 見開いた目に俺の戸惑いを感じ取ったのか、ティエリアはまた不機嫌そうに眉を寄せる。手にしていた端末を放り投げて、声を荒げた。
「不満があるなら言え! そんなに口淫されたいのか!? 昨日散々――、」
「…ティエリア、」
 腫れ上がった喉の、掠れた声で名前を呼ぶ。彼の声には到底敵わないボリュームになってしまったが、彼は言葉を止めてこちらを見つめた。視線で促すと、そっと顔を寄せてくれる。上がってしまった熱のせいで、目尻から涙がにじんできた。身体が弱ると心も弱る。人の体温や優しさに敏感になる。それはもしかしたら、少しだけ幸せなことかもしれなかった。
「可愛い。好き。大好き。最高だお前」
「……昨晩のアルコールが、まだ残っているようだな」
 呆れがちな声に聞こえないふりをして、そばに寄った頭を更に引き寄せる。自分にまだそんな力が残っていたことに驚いた。さっきまで指一本動かすことすら怪しかったのに、今は少しの距離でも埋めたくて仕方がない。
 だって、声音は呆れながらも、こちらを見つめている目からは氷の粒のような冷たさが失せている。昨晩のベッドの上で見下ろしたのもこんな目だった。昨日もそれが嬉しくて、恥ずかしくなるような台詞を沢山口にした。アルコールと風邪菌は理性を剥ぐという点では似たようなものかもしれない。熱で浮かされた頭が、こんな顔が見られるならいくらでも恥をかいてやると思ってしまっているのだから。
 粘膜の洗浄は自称プロフェッショナルの本人に任せることにして、唇にそっと口づける。頭を固定するほどの元気はないから、本人がまずいと思えば抗える筈だが、小さな唇は黙って甘受していた。それをいいことに、そろそろと舌を侵入させる。
「ん、ぅ…」
 幼い舌を引き出してやり、絡める。甘い声が吐息と共に漏れて、こちらを煽った。そのせいで、若干放って楽になった筈の下肢がまた熱を持つ。風邪菌で理性の薄い身体には刺激が強すぎたようだった。
 音がするほど充分に唾液を混ぜ合ってから、唇を離す。糸がこぼれ落ちるのもそのままに、唇を耳許へと移した。口づけのせいで赤く染まった可愛い耳に、殆ど食べられるくらいの距離で囁きを落とす。
「…して」
 敢えて何を、とは口にしなかった。いっそ二発目が来ても構わないと思った。この子から与えられるのなら快楽だろうが痛みだろうが大差ない。顔を離すと、表情を消した透明な目がじっとこちらを見つめていた。その無垢な様に汚れたことをさせるのは、罪悪感でもあり悦びでもあった。結局の所、俺はどこまでも悪い大人だったのだ。





 改めて見るとこれはかなり変態的な光景ではないかと思う。ナース姿の(これは不可抗力だ)美少年に(これも)モノを銜えさせて出させようとしているというのは、なんというか、非常にインモラルで、爛れていて――正直言うと、大好物だった。
 愛情なんて言い訳をするつもりは毛頭無い。俺は俗物だしちょっとばかし変態だし、間違っても模範的な大人ではない。そんな俺に引っかかってしまったこの子を哀れには思うが、同情するだけで手放す気はなかった。こんなことを教えるだけ教え込んで放り出すのはそれこそ残酷だろうと思うし、それ以外の、もっと真っ当なことも教えてやりたかった。そうやって責任を取っていこうと思う。ああ、これも何だか言い訳のようだが。
「ん、」
 色々なところが自由にならないので、頭だけ上げて様子を見る。ちろりと覗いた舌が控えめに性器の輪郭をなぞるのが見えた。もどかしい刺激に手で合図すると、小さな口がそっと俺のものを包み込んだ。
 とても収まりきらないのか、飲み込もうとして唇が上下を繰り返す。なまぬるい粘膜の刺激にうっとりと目を細めていると、時折舌で先端を抉られてうっかり達しそうになった。もう少しばかり楽しんでいたいのだ。
「ぅ、く……はぁ」
 苦しそうに息をしながら、懸命に舐めてくれる様が可愛い。出来ることなら身を起こして頭を撫でてやりたいくらいだが、身体が自由にならないので与えられる快感を愉しむことにした。吐息や、腺液と唾液の絡む音、控えめな指の動きを感じ取って、ゆっくりと高めていく。
「ふ、ぅ」
 密やかな吐息と共に、甘く先端に歯を立てられ、性器が痙攣した。
「んっ…」
 吐精感を訴える間もなく放たれて、そのまま喉の奥に浴びせかけてしまった。白い喉が上下して、飲み込みきれなかったものが口許からこぼれ落ちる。心地よい脱力感から起こしていた頭を再び枕に預けた。
 彼の名を呼ぶと、少しばかり潤んだ赤い双眸に覗き込まれる。いつもとは逆の位置が少し新鮮だ。
「…飲ませて、悪ィ」
「汚すよりはいい。尤も、貴方の下着は手遅れだったが」
「あー…ほんともう、すみません……」
 相手に銜えさせるのは良くても、下着の処理をさせるのには妙な気恥ずかしさがあった。また熱を持っていく顔を覆うと、相手が息だけで笑った。どうしようもない俺をあやすように。
 手のひらが作った即席の闇のなかで、ボタンが留められる感触がする。あらわになった下肢は丁寧に毛布がかけられて、その手際の良さに驚いた。そうして思い至る。俺がいつもしていることなのだと。されてみて、自分が如何に相手を甘やかしているかを実感した。しかしそれが今は嬉しい。
「眠るといい。治療の再開は、それからだ」
 さらりと頭を撫でられて、あらわになった額に口づけられる。こんなところまで似ていた。しかし知覚出来たのはそこまでだった。体中から力が抜けていき、唐突に目蓋が重くなる。眠気とも気絶ともつかない、ブラックアウトの瞬間にも似た感覚だ。満ち足りた気分になりながら意識を手放す。

 目覚めたときには思い切り甘えてやろうと、心に決めた。普段している分を取り返すくらいは許されるだろうから。