ロックオンの愛車が向かった先は、一区画も離れていないところに建つホテルだった。ビリーに連れていかれたところよりもイルミネーションが抑えられていて、絨毯や壁紙も暗い色調になっている。ロビーは暗黙の了解とでもいうようにささやかな話し声しかしない。
 自分には常識が欠けていることは知っている。人のコミュニティに触れずに生きてきたのだからそれは当然だ。だがそんな自分にも、ホテルのロビーを両腕に抱えられて通過するのには躊躇を覚えずにはいられなかった。
 車内から電話でフロントに一報入れていたロックオンは手続きもなしにエレベーターに乗り込み、スイートルームのドアを開ける。裸足で歩くのも確かにどうかと思うが、人ひとりを抱えてホテルを闊歩するのもどうなのだろう。そしてそれをボーイもドアマンも誰一人として見とがめることはなかった。いたたまれなくなった私が顔を伏せていたので、病人とでも思ったのだろうか。それにしては手を貸そうという気配もなかった。
 ベッドに下ろされたので、首に回していた腕を緩める。ロックオンの吐息が胸のアタッチメントの接合部を掠めて、酷く痒く感じで身じろぐと、ベッドが揺れて震動が大きく伝わって思わず身体が竦んだ。
「足、見せてみな」
 私をベッドに座らせたロックオンは、毛足の長い絨毯に膝をついてストッキングに包まれたままの足を取った。
 靴擦れは小指の付け根と踵にあった。右足を両手で持ち上げられ、スカートのスリットが大きく開く。ずっと足を擦り合わせるように閉じていたせいで、解放感以上に落ち着かない。さらりと鳴るシルクの音につれて身体は後ろに傾いでいき、やがてベッドが大きく弾むとロックオンが顔を上げた。スリットからはストッキングを留めるガーターベルトが覗き、下から見上げる格好のロックオンにはその付け根まで見えているだろう。
 見られている場所と耳の後ろが、同時にざわりと粟立った。抑えようとしても身体が震え、ウォーターベッドがそれを如実に伝える。こちらの反応がわからないはずがないのに、ロックオンは何を言うでもなく視線を戻した。手のひらで踵をくるみ、人差し指の爪が傷口に押し込まれる。
「いっ……」
「痛そ」
 当たり前だ、と言おうとすると今度は小指の付け根に親指が当てられる。弧を描くように強く擦られた痛みに、歯を食いしばるしかなかった。
「手当て、しないとな」
 傷口を解放した手は、這うようにふくらはぎから太腿へ移動した。膝を淡く撫でられるこそばゆさに足を立てると、すでに肌蹴ていた裾はますます広がり、シルクの肌触りが太腿を滑り落ちていく。それに追随するように、ロックオンの指先がわだかまったスカートの中に侵入した。
「やっ、あ……」
 腰骨の下をきつく締めつける下着と肌の間に指が一本入り込む。下肢を縛りつけるようにタイトなそれを強い力で引きずり下ろされ、解放感と心許なさを感じるのはさっきと同じだ。抗うように足を曲げて膝をきつく閉じれば、ロックオンは強引に、けれども決して荒々しくはない力で開いてしまう。ベッドに乗り上げたロックオンの、肩の高さまで掲げられた爪先から、くしゃくしゃに丸まった下着が落とされるのを見た。
「いやだっ……」
「でも手当てするなら脱がないと」
 嘘だ。ガーターベルトを外せば、ストッキングを脱げることは知っている。ロックオンがこちらの意図をわざとはぐらかして話したがるのは、彼の数少ない悪癖だった。
「こんなのは、いやだ……」
 担ぎ上げられた太腿に唇を寄せられ、見ていたくなくて両腕を目の上で重ねる。目元や鼻頭は丹念に塗りつけられたファンデーションでベタつき始めていた。顔を洗いたい。窮屈なドレスを脱いで、ロックオンが選ぶゆったりとした服に着替えて、いつもの自分に戻りたかった。
 友人のためとは言え、社交は自分がもっとも不得手とする分野だ。慣れないヒールに細く締めつける下着、背中をくすぐるウィッグ。一歩あるく度に磨耗していくような、長い長い緊張状態。
 ホテルの前に見慣れたクラシカルな車を見つけたときには涙が出そうになった。転んだ身体を抱き留めてくれた胸からは、懐かしい匂いが染み出した。自分はここに帰りたかったのだと思い知る。同時に彼は帰る必要もなく、一緒にいようと言ってくれていたのだと気づく。申し訳なさとそれでも迎えに来てくれた喜びで、私の貧相な語彙はたちまち尽きた。望まぬ相手と家族になるのは不幸だと思う。だから望んだ相手と望んだときに一緒にいられないのも、同様に不幸なのだろう。今、私はロックオンといたかった。
「何がいや? な、ティエリア、教えて」
 耳朶を唇で挟みながら囁くロックオンの声は、いつもよりずっと低く濃く脳髄を痺れさせる。
「シャワーを浴びたい、着替えたい、ロックオン…」
 ロックオンはスカートの中でガーターを辿っていた指を引き出し、顔を覆っていた私の腕を取り払った。
「そんなにいや?」
 目元に滲んだ涙を吸われる。メイクでいつもより重い瞼が、さらに重くなった。
「でもだーめ。ティエリア、いい匂い」
 首の後ろにあるホックが外され、薄い生地に覆われていた胸元が肌蹴る。特殊メイクで盛られたそこに鼻先を埋め、ロックオンは鎖骨の下を大きく舐めあげた。歯は立てずに、舌を広く当てたまま何かを探るように肌を滑る。口で呼吸ができないせいか、いつもより荒々しい息遣いはやがて耳の後ろを探り当てた。そこはミズ・スメラギが香水を吹きつけた場所だ。
「すげえいい匂い。くらくらする」
「ひっ……ゃぁ、」
 耳の裏を舐めあげられ、引きつった声が出る。そのままロックオンは首から肩にかけてを、顔を乗り出して舐め続ける。キスとも噛みつくのとも違う、温くて惰性的な刺激に身体が震えた。
 そうしてすっかり萎えた腕をロックオンは離し、いまだ辛うじて胸を包むドレスのサイドから手を滑らせる。唾液で濡れた首筋が冷えていくのを感じながら、淀んだ意識でそれを眺めた。
 ロックオンが指に力を込めると、乳房を模したジェルが人工皮膚の中でたわむ。詳細に作り込まれた先端を摘み、輪郭をなぞるロックオンの表情に、少し違和感を覚えた。
「ロックオン?」
「やっぱ、なんつーか、妙だな、こういうの」
 苦笑気味に笑った彼の胸中はよくわからない。豊かな乳房は男性へのセックスアピールの代表だが、あれば良いというものでもないらしい。一体どうやって知ったのか、乳房を固定していた特殊シールを器用に剥がされる。外れたそれを丁寧にベッドの下に隠してから、ロックオンはついでにウィッグも外した。
「いつものティエリアだ」
 そう言って笑う彼に答える暇もなく、乳房がなくなって空いた胸元を器用な手に蹂躙される。
「やっ、あ、んっ……!」
 ずっと空気に触れず蒸した状態だった素肌は少しふやけていて、微かな接触にも敏感に反応した。指の腹で圧迫され、爪がたやすく食い込む。それだけでふつりと立ち上がった先端を、ロックオンの指先が転がす。常よりも激しく身体を甘く痺れさせる感覚に、無意識に暴れる足をロックオンのそれが強く縛りつけた。互いに擦れる中心の熱も、いつもより熱い気がする。
「ティエリア、かわいい……」
 熱に浮かされた囁きをかたどる唇が目の前にあった。首を伸ばして舌で請うと、すぐに応えてくれる。
「は、んっ、ん、う…」
 貪欲に突き出す舌を絡めとられ、尖った舌先を宥めるようにつつかれる。反射的に引こうとすればロックオンは口を窄めて粘膜ごと飲み込むくらいの力で吸った。ず、と唾液がごっそり持っていかれて口の中がカラカラになる。だが歯列をなぞられ舌を絡め取られればまただらだらと粘膜が濡れた。
「はっ、……うまくなったな、えらいえらい」
 自分の口元を拭った彼はそう笑いながら自分の服に手をかけた。緩んでいたネクタイは一息で抜き取り、シャツのボタンを外してジャケットごともどかしげに袖を抜き、インナーの裾を掴んで一気に脱ぎ捨てる。乱れた呼吸が繰り返されるたび、鍛えられた胸が上下するのがやけに好ましく感じた。見ていると自分の下肢に熱が宿っていくそれは、おそらく彼に対する欲情なのだろう。
 ベルトを外す金属音は耳にこそばゆかった。床に落ちたのはいつものジーンズではなく、スラックスのやわらかな衣擦れの音。再びのしかかる彼の吐息で我に返り、腰でわだかまるドレスや履いたままのストッキングを脱ごうとしたが、ロックオンの膝がドレスの裾をベッドに縫いつけてしまって身体をねじることしかできなかった。
「ロックオン、わたし、も、」
「いいなそれ。何ていうか、すごくいい。かわいい」
 身体を捩ったせいで胸元に引っ掛かっていたドレスの前身頃が完全に落ちた。ロックオンの指が露出した胸の真ん中を辿り、臍まで露わにする。同時に空いた手がスカートの中に入り込み、濡れてそそり立つものを引き出した。めくれたスカートの陰では、ロックオンの熱が素肌の太腿に当てられている。
「ロックオン、いやだ、脱ぎたい」
「なんで? かわいいのに。すごく、興奮する」
 汗ばんだ肌にガーターベルトが食い込む。軋んで頑なに縮こまる下肢に、ロックオンの指が触れた。ロックオン自身のそれから滴ったものを絡めた指は、すでに濡れて熱を持ったそこにたやすく馴染み、侵入していく。
「や、やだっ、もう、ロッ、クオン……」
 付け根まで挿し込まれた中指が中をぐるりと掻き回す。ゆるゆると高められたまま解放されない熱に耐えきれず、だらしなく開いた足を持ち上げて彼の腰に絡めた。うまく動かなかった片足は彼を蹴るだけだったが、もう片足は彼が腕を添えて支えてくれる。
「俺も、もー限界。…脱がさなくてもいい?」
「いいっ、いい、からぁっ…」
 濡れて熱く腫れたそこに、さらに熱い塊が触れる。
「ティエリア、かわいい、好きだよ、ティエリア、」
 抑揚に乏しい声とは裏腹に、熱の楔が深く深くこの身体を穿つ。それだけで視界がホワイトアウトして、自分の叫びがどこか遠くから聞こえてくるようだった。けれども意識と五感は正しくロックオンを捉え、体内に収まった彼が打つ脈動を確かに感じる。首を伸ばせば荒々しい息遣いを唇に感じ、どちらからともなくそれを重ねた。肩を抱きしめてくれたので、夢中で腕を回し背中にしがみつく。
「ティエリア、あいしてるよ」
 それはうるさいくらいの心臓の音や、ひっきりなしの呼吸音が、途絶えた一瞬に落とされた囁きだった。何か答えようとしたのだが唇がすぐに塞がれ、それが解放されたときには彼が激しく動き始めたので叶わない。
 何度も的確に突き上げられ、何度も弾ける意識の中で、ずるい、と思った。ロックオンはいつでも全くの愛を与えてしまうから、こちらが返す隙すらくれない。






 こつんこつん、と革靴が石畳を叩く。硬い感触だったが、足に負担は感じなかった。ロックオンがかしずいて絆創膏を当ててくれた靴擦れが痛むこともない。
「そんなにはしゃぐと転ぶぞ。下は凍ってんだから」
 背後から腕が掴まれ、引き寄せられる。地面についた片足を軸に身体を反転させ、浮いた片足を地面について制動をかけると、またこつんと小気味の良い音がした。それが心地よくておかしくて、ふっと弾んだ吐息が唇から零れる。
「そんなに喜んで貰えたんなら嬉しいけどさ、そんなに嬉しい?」


 ホテルを出るために身支度を始めた僕の前に差し出されたのは、見覚えのない靴だった。ミズ・スメラギが持ってきてくれた衣服の中にあったものではない。ロックオンが出したそれは全くの新品で、彼の手にはベルベットのリボンと厚手の箱があったことから、そこから取り出されたものだとわかった。
「俺からのクリスマスプレゼント。メリークリスマス、ティエリア」
 手を取られ、ベッドに座るよう促される。腰かけた僕の前に跪いたロックオンは、そのまま足首を取って靴を履かせた。
「サイズぴったりだな。さすが俺」
 それは硬い、革製のものだったが、横幅が広くとられているのか少しも窮屈さを感じさせない。緻密に組み合わされた革の合わせが、靴の輪郭を細く見せて野暮ったさもない。
 自分が持つものは一部の電子機器を除いてほとんどが彼に手によって選ばれているが、これは特別なのだと何となくわかった。
 約束を破って、慣れない靴で痛めた足を包んでくれるそれが無性に嬉しい。帰宅途中に大きな遊歩道がある公園を見つけ、少し歩きたいとせがんだらロックオンは苦笑しつつも車を停めてくれた。


「嬉しい。すごく。あなたにはわからないのか?」
 踵を石畳に落とすと、少し重たい音がする。爪先から落とせば軽い音。意識をせずに踏み出すとその中間の音がした。何歩も何歩もそうやって歩く私を、ロックオンはまるで歩くことを覚えた子どものようだと笑った。
 公園には何組かの家族づれがいて、子どもたちの多くは真新しい玩具を持ってはしゃいでいる。それを見守る親たちの表情は、ロックオンのそれと良く似ていた。
「少し、わかる気がするよ。ほら、転ぶ」
 ロックオンが先ほど言った通り、昼の陽射しに溶けた雪が薄い氷となって石畳を覆っている。靴底との摩擦がゼロになり、バランスを崩した身体をロックオンが支えた。
「ありがとう。…少し、気がするというのは曖昧な言い方だな」
 ロックオンの腕を支えに身体を立て直して覗き込む。優しい声音に混じった微粒子が気になったのだ。
「俺も、プレゼントを貰うことはあったんだ」
 見張った目に冷気が染みていくのを感じた。手を伸ばして、柔らかく微笑む彼の頬を両の手のひらで挟む。じわりと滲んでいく体温と、私の手に自分のそれを重ねて頬を寄せる彼の笑みが、とても淋しいもののように感じた。
「私は、あなたに何も用意しなかったな」
 与えられるばかりであることを厭っていたにも関わらず、結局こうして与えられるまで自分が与えるべきものに気づかない。悔やんだが、それは今、彼が望んでいるものとは違うことは明らかなので、口にも表情にも出そうとは思わなかった。
「いいんだよ、俺がしたかったんだ。ほら、俺、パパだし」
「同じ指輪をした?」
「そういうパパが一人くらいいてもいいだろ?」
 彼は笑った。いつもそうだった。そうやって私に与えられることを避けようとする。
「ティエリアがいてくれるだけで、それでいい」
 彼の身体が自分を抱きしめようとするのがわかったので、両手を広げてそれに応える。腕の下から背中にかけて、しっかりと腕が回されて身体が密着して固定する。冬の外気にきんと冷えた耳を彼の首に押し当てると、高い体温と共に血の流れる音がした。
 ここで今、頑なに何かを与えようとすれば、彼はきっと笑って拒絶する。今から彼を車のディーラーの元へ連れて行っても彼が喜ばないことはわかっていた。ロックオンという男に何かを受け取らせることの難しさを、私は既に知っている。来年の今日のために、今日から準備をするくらいの覚が必要だろう。
 だから、今年はこれで我慢しようと思った。
「ロックオン」
「ん? ……んんっ、う、」
 声に反応して上げられた顔に、すかさず自分のそれを押しつけた。抉りこむように強く強く唇を押し当て、彼が良くそうするように舌を差しいれて吸う。首筋と同様にそれは温かく、与えるつもりが、もしかしたらまた熱を奪ってしまったのかもしれない。
「っ…、ティエリア、なに、」
「メリークリスマス」
 浮かせていた踵が地面につくと、こつんと硬い音がした。新たに友人となった女性が鳴らしたような華奢なそれではなく、彼に囁いた言葉も彼女のように抑揚に富んだ情感あふれる発音ではない。
 だが、私が贈るにしろ彼が受け取るにしろ、おそらくこの辺りが妥協点だ。彼は私を不器用だと笑うが、彼も同じくらい不器用だと思う。私からの拙いクリスマスプレゼントを受け取った彼が笑うのに、たっぷり38秒を要したのだから。