ロックオンは弟と仲がいい。
 弟―――ライルがこの家に会いに来るまで、十年間離れていたらしいが、そんなことを感じさせないくらい、二人はお互いを理解していたし、滅多に喧嘩をすることもなかった。
 家族として同じ環境で育ったこともあるのだろうか。それとも、うり二つの外見が示す通り、遺伝子に通じ合うものでもあるのか、血縁でない僕には分からない。唯、気楽そうに見えて存外内に溜めこみがちで、本心を打ち明けるのが苦手な彼にとって、相談できる相手がいるというのは幸せなことなのだろう。彼が密かに苦しんでいたのを知っているだけに、よかったと思う。できる限り、そばにいる僕が支えてあげたいけれど、それにも限界はあるだろうから。
 ライルも、今は彼らの故郷であるアイルランドに帰ってしまったけれど、そんな距離など感じさせないくらいに、二人は頻繁に回線で連絡を取り合っていた。僕がビリーと文字でのチャットをしている間、彼も弟と話をしている、ということがよくあった。近況報告も必要がないくらいの頻度で会話する二人をみて、よくもそこまで話す内容があるものだと感心する。それが血縁というものなのか、やはり僕には分からない。
「違う。トマトソースのパスタだよ。あの角の店」
 ―――少しも、分からないのだ。




 薄暗い寝室の空気は、汗と体液の臭いがして少し重たい。行為の後の薄い疲労と、下腹部にわだかまる熱が頭をぼうっとさせた。汗で湿った皮膚にシーツがぺっとりと張りついて、体を動かすのが億劫になる。いっそ眠ってしまおうか、と思いながら、頭上から落ちてくる彼の声に耳を傾けていた。
「覚えてねえの? 母さんと俺たちとで食ったろ……バカ、違えよ、そこじゃねえ」
 通話を始めて、かれこれ35分21秒になるが、会話は脱線に脱線を重ね、一向に終わる気配がない。ことが済んでからの着信で良かったというべきなのか、下着くらいつけた状態で通話しろというべきなのか。僕にはよく分からないまま、端末を持たない左手が、撫でてくるのを黙って受け入れている。
 完全に忘れられているならいいのだ。寝てしまえば済む。けれど左手だけはやさしく僕の頭や頬や顎を撫で続けるので、要らない期待をしてしまう。それが余計に腹立たしい。
「そうそう。お前がブロッコリーのサラダ。俺がサーモンのやつで。覚えてるだろ?」
 二人で記憶を共有しながら楽しそうに話す。ライルがここにいたときも、よく見た光景だった。こういうとき、同じものを持っている二人を羨ましく思う。側にいるのに、距離を感じてしまう。
 今、手を伸ばせば触れられる距離にいるのは僕なのに、あのときと同じ感覚が蘇るなんておかしい。端末を耳に押し当てながら笑う彼は、すっかりライルとの会話に夢中だった。この触れてくれる手だって、きっと無意識に過ぎなくて。
 存在を誇示するために背に腕を回すと、やさしく頭を撫でられる。胸が大きく跳ねた。
「そういやお前、アボガドは食えるんだっけか」
 それでも会話は続けられる。期待するだけ愚かで、そうさせる彼の所作に思わず息を吐き出した。さっきまで散々奥まで暴かせて、熱のこもった目を向けていたくせに。受け入れた部位の熱が、いつまでもくゆっているのはこちらばかりで、彼のなかにはもう跡形もないのだ。それが、何だか悔しい。
 ―――あまりにも、悔しかったので。
「アボガドは、生ハ……ひぁっ!?」
 会話が乱れ、途切れた。僕を曖昧に撫でていた手が口元を覆い、彼の両眼がせわしなく瞬きを繰り返す。僕は上目遣いでそれを一瞥した後、彼自身をくわえこみ、舌でねぶった。
「んっ…、ん、ふっ」
『どうした? ゴキブリでもでたか?』
 ロックオンの端末から、ライルの怪訝そうな声が漏れる。だが、構わずに彼の輪郭を舌先でなぞって、それから袋を優しく指で転がした。彼の眉間にしわが寄り、抗議の視線が送られる。気づかないふりをして、堅さをましていく彼自身を音を立てて吸った。
「悪ィ。切る…ッ」
 快感にかげった低い声で短く告げた後、回線が切られる。ロックオンは、長いため息をついた後、彼をくわえている僕の頭を軽く撫でて、問いかけた。
「…怒ってる?」
 答えなかった。かわりに彼の先端を舌でねぶると、彼は迫ってくる感覚に耐えて、眉間のしわを増やした。それを見て、胸がすく思いがした。僕はもしかしたら、彼のいうとおり、怒っているのかもしれなかった。
 彼が、はぁ、と欲望の色がみえる息を吐き出した。あと少しなのだろうと分かってはいたが、敢えて口からペニスをはずすと、彼が少し物足りなさそうな顔をする。それをかわいいと、思ってしまった。
 口から垂れ落ちた唾液をぬぐいながら、答える。口の端が否応なくつり上がった。
「ライルと喋らないのか」
「…悪かったよ。もうしない」
 ごめん、と低くつぶやいてぺたべたになった僕の唇にキスをする。触れるだけのを何度も繰り返した後、ちゅ、と音を立てて唇を軽く吸われた。充血した下半身の感触を知らなければ、本当に優しいだけのキスだった。彼の参ったような表情も含めて。
「たくさん喋ればいい。僕は気にしない」
「そう言いなさんな。…あーもう、ほんと、反省してる。ごめんなさい」
 そう言った彼の端末がまた鳴り出す。ホロモニターにあるのは、やはり弟の名前だった。不自然な切り方を怪訝に思ったのだろう。当然といえば当然の行動だった。
 反射的に僕は目をそらした。
 彼はひと思いに端末の電源を切り、寝室の隅に放り投げ、そして、僕を組みしいた。ベッドのスプリングの軋む音、端末の呼び出し音の代わりに響く。
「ぁ、ん、はぁ…っ」
 そして、噛みつくようなキスをされた。舌が粘膜をねぶり、唾液をすすって飲み込む。呼吸すら奪われ、四肢から力が抜ける。そのくせ、僕が吸ったペニスだけは押しつけられて欲を示された。熱が冷めたなんて嘘で、また皺の寄ったシーツの上に、生臭い熱気が漂う。思わず長い息を吐き出した。
「…続き、していい?」
 やむなく回線を切ったときの、何倍も欲にまみれた声で問いかけられ、頷かずにはいられなかった。それを合図になった。部屋のなかに、先ほどの彼らの会話よりも意味のない声がまた、交わされた。意味もなく、距離がないことだけが分かる、言葉にもならない声だった。
 それは間違いなく僕と彼だけのものだった。