雨降ってるな。ロックオンの呟きでようやく今朝からの冷え込みの原因に気づいた。昨晩からパソコンに向かっていたせいで、外の天気など気を遣ることもなかった。
 もとより外に出る予定もないのだから必要のない情報なのだが、ロックオンはしばしば自分に外の話をする。それも、植え込みの花が咲き始めて綺麗だとか、そこらをうろついていた猫が子どもを産んだようだとか、くだらない話ばかりだ。うんざりしてもっと有益な情報はないのかと揶揄したら、料理のレシピを延々と聞かされた。それ以来諦めて彼の話は聞き流すようにしている。
 今も天気の話から洗濯物がどうとかいう話を始めているようだが、内容にさしたる重要性はないようなのだった。ぼんやりと彼の声を耳に留めるだけにして、通販のカタログに目を落とす。内容に興味はないが、耳を通り抜ける低い声は不思議と不快ではなかった。
 新製品のパーツのあるページに一通り折り目をつけた後、ロックオンにカタログを手渡した。そもそも彼が勝手に決めてきた家なので、住所すら知らない。予め登録されていない紙媒体は自分の範疇外だ。相手もそれをよくわかっていて、黙ってペンで申込書の記入を始めた。そうして洗濯物の話は中途半端なまま宙に浮く。彼にとっても重要性のない話らしかった。
「しかし、派手に買い物するなぁ…お前さんも」
「口座の残高は問題ないはずだが」
「いや、金じゃなくて。お前開けてねーだろ、買っても」
 一瞬、彼の言わんとしていることが理解出来ず眉を寄せる。沈黙を守っていると、彼が居間に浸食し始めたパーツの箱をいくつか積み上げてみせた。そこでようやく理解する。軽く息を吐いた。
「物品の売買は料金を払い物品を受け取った時点で完了する。何か問題が?」
「…お前の私物が居間にまで浸食してる辺り」
「この家が狭いのが悪い。部屋数が多い建物に引っ越せばいい」
「あのな。俺がこの家探すのにどんだけ苦労したか知らねーだろ、お前」
 頷くと肺の底からため息を吐かれるが、知らないものは仕方がない。彼はそれ以上何か言うのを諦めたようで、再びペンを走らせた。ロックオンなりにあの覚えるのも煩わしい長い住所に愛着があるようだった。自分にはやはり理解できないものだが。
「…仕方ない。コンテナを借りる」
「物欲を抑えるという選択肢はねえんだな。このいやしんぼめ」
 そう言ってカタログで軽く頭を叩かれる。撫でるのとそう変わらない強さでは懲罰にもなりはしないのに、ロックオンがなにがしたいのかさっぱり分からない。
 皮肉をいいながらもこちらの言葉を受け入れてみせたり、聞いていないとわかっていてくだらない話を始めたり勝手に終わらせたり。どれも不可解だった。しかし不可解なだけで彼が作り出す空間は決して不快ではない。この家も、若干狭いものの閑静で日当たりも悪くない。言ってはみたものの、部屋数が多くともここ以上に落ち着く空間が想像つかないのは事実だった。
 地上の煩雑さからも濃厚なエネルギーからも切り離され、穏やかだ。そのせいで外に出る気をなくし、気がついたら彼としか顔を合わせなくなっている。
「…どうしてくれる」
 ぽつりと漏れた恨み言は、眉を寄せて申込書を埋めている彼には届かない。わけもなく苛立ち、近くにあったパーツの箱を投げつけた。重たく硬質な音がして、すんでのところで彼がそれを回避する。今の衝撃で申込書にペン先が刺さっていた。
「あぶっ……! お、お前、何を、」
 何、と聞かれて答えられれば苦労はいらないのだ。彼と二人でいるようになってから、説明できないことばかりが増えている。こんなことは知らない。
 彼に問いを投げかければ答えは得られるのかもしれないが、それが追いつかないくらい不可解なことが増えていく。正解を求めることすら煩わしくなるほどに。
「…あなたが悪いんだ」
 睨みつけると相手が困ったように眉を寄せる。その一瞬だけ胸がすく思いがした。そう、すべて彼が悪いのだ。自分が卑しいのも不可解なことばかり増えるのも、雨が降る朝が寒いのも日当たりがいい窓際も、すべて。

 すべて、二人でいる前は知らなかった。彼がいなければ知らずに済んだのだ。