ぴたりと平らな腹部に当てた手のひらに振動が伝わった。ぐ、ぐ、と内臓が収縮して蠢いているような音がして、肩にもたれた形の良い頭が揺れる。肩まで被った毛布を俺は気休め程度に引き上げて、腹を手のひらで温めるようにさすると膝の上の足が縮められ、自分の腹を抱え込むようにする。
「まだ痛いか?」
 ティエリアが視線を合わせないであろうことはわかっていたので、益体もないバラエティー番組を眺めながら顎の下に埋められた頭に問いかけた。視線どころか返答もなく、ティエリアはソファに座った俺に座って、身体を丸めた。
 出すものは全て出したし風呂で身体も温めた。あとは落ち着くのを待って寝てしまえばいいのだが、ティエリアは顔もあげず動きもしない。
「……なんであなたは平気なんだ」
「俺はほら、野草を煮て食うこともあるからさ」
 道端の雑草や岩の塩分を放り込まれることもある消化器は、ティエリアのそれよりも遥かに頑丈だ。生煮えのじゃがいもや調味料を入れすぎたスープくらいで壊れたりはしない。さすがに洗剤が入っていたら自信はないが、その事実は口にする前に判明したので、事なきを得た。このときほどティエリアに味見の習慣がなかったことを喜ばしく思ったことはない。
 ティエリアはようやく顔を上げ、面白くなさそうな表情を俺の肩に乗せた。俺はさっきまで悲鳴をあげていた腹をぽんぽんと叩いたり撫でたりしながら、その傷心を慰める。
「家事ってのは経験だからな。これで味付けと煮込みの要領はつかめたろ?」
 俺はもともと多弁な性質ではない、と自分では思っている。人間関係を煩わしく思っていた一時期に、人当たりの良いことを喋りまくることで一定の距離を維持しようとして、それが癖になってしまった。今では俺が何か言う前に珍妙な言い回しで他を圧倒する上官のせいで落ち着いたと思うが、それでもティエリアと比べれば十分おしゃべりだろう。
 そして今回、それはマイナスだった。こういうときのティエリアは髪や肩を撫でたり軽いキスの方が受け入れやすい。言葉はティエリアが直視しがたい現実を露呈してしまうのだ。
 そしてティエリアは言葉を使うのが得意ではない。その綺麗な頭には俺より遥かに多くの語彙が詰まっているのに(最近ではスラングすら修得しつつある)、それを用いる舌はひどく不器用だった。激怒したときほど語彙は少なくなり、ばかと万死を繰り返す様を俺は可愛い以外に形容する術を知らない。そしてその細い咽喉が切実に言葉を絞り出そうとするとき、俺はいつも心奪われる。ずっと固まって止まっていたものが急に駆け出すみたいに……なんて、これではまるでどこかの隊長だ。
 とにかくティエリアは言葉を使う代わりに歯を使うことにしたようだ。肩に小さな歯がめり込んで、皮膚がへこむ。
「俺はティエリアの料理好きだよ」
 痛みに震えないよう意識して声を出した。ついでにドライヤーで乾かしたばかりでまだ温かい髪を掬って口づける。音を立てればティエリアには何をしているかわかるはずだ。
「うそだ」
 自分で腹をさすりながらティエリアが呟く。もう痛みもないのだろうが、先ほどまでの悶絶からすれば俺の言葉を否定するのも無理はない。俺はいつも変なところで発揮される幸運があって入っていなかったが、ティエリアのスープにはプラスチックの塊が入っていたのだから。苦虫をまとめて十匹噛み潰したようなティエリアの顔は、それでも可愛かった。
 ティエリアは大きすぎるTシャツの袖から拳を出し、それで俺を叩く。生地がところどころ伸びたり縮んだりして、色移りも見えるそれは先日ティエリアが洗濯したものだった。溢れた水で水浸しになった床を拭きながら、全自動の洗濯機でなぜ、とは思ったが、本人が何よりも傷ついていたので口には出さず、それは部屋着に下ろすことにした。
「うそじゃない。うれしいんだよ、本当に」
「うれしいと好きは違う。言葉は正しく使え」
 俺の胸を叩いた手がそのまま胸板を滑り二の腕を掴む。そこに寄せられた頭がずるずると俯いて、肘のあたりで伏せてしまった。
「好きだよ、ティエリア」
「…あなたはいつもそうだ」
 憮然とした響きだが、それでもティエリアは顔を上げてくれた。濡れた睫毛の下から覗く視線とかちあい、唇を尖らせて寄せればすぐにティエリアの薄いそれとぶつかる。ちゅ、と音を立てて唇だけで絡むと、膝の上でティエリアの足がもそもそ動いた。
「うん、俺いっつもティエリアが好きだから。だからティエリアの作るメシも好き。だから今度は一緒に作ろうな」
 洗濯も。と胸中だけで呟きながら、肩を背中を髪を撫でるとティエリアは素直に身体を寄せる。小さなキスを繰り返していくうちにティエリアの腕は俺の首に回っていた。少しだけ舌を絡めた深いキスの後、その腕に力を込めて俺の首にかじりつく。
「なんで、先に言ってしまうんだ」
「何を?」
 視線を下ろせば伸びきった襟ぐりから見える白い背筋にいけない心が頭をもたげる。それをどうにか押さえつけながら尋ねた。
「教えて欲しい、と言うつもりだった」
 首筋に埋まった頭が動き、咽喉元の敏感な場所に吐息が触れる。それは拗ねたような口調と可愛すぎる言葉とあいまって三乗の効果があった。
「教えてやるよ。なぁんでも」
 腹を締めつけないよう、ティエリアに履かせたのはスウェットだった。腰からずらす必要もなく、手はするりと中に入り込む。ティエリアが息を詰める気配がしたが、すぐに震えた吐息を長く吐き出した。胸に伝わる鼓動が早い。しかしそれでも受け入れようと呼吸を整える健気さがいじらしかった。
 薄い下腹部に密着した下着を外から指で探ると、それは輪郭そのままを辿ることになる。指の動きよりも期待に張り詰めつつあるそこにはわざと触れず、下着のごく短い裾を手繰った。
「ん、」
 ゆったりとしたスウェットの中でティエリアの内股を探る。下着は裾のほとんどない形だったので、下にあたる部分を指でより分ければすぐティエリアの中心があった。
 付け根の半周をくるりと撫でるとティエリアは身体を震わせ、大きな襟が白く尖り気味の肩からずり落ちる。肩甲骨が覗きそうなほど肌蹴た姿はひどく扇情的で、俺の指の動きを加速させた。
 柔らかく湿った肌の、さらに奥を探り、入り口を指でなぞる。熱い吐息とともにそこはふるりと震えて収縮してみせた。期待は明らかだったが、それ以上は触れずに指を外す。
「いやだ、ロックオン、ロックオン、」
「今日はだめ。ここ、また痛くしちまう」
 おねだりさせてみたい気持ちは強かったが、ティエリアの切望ごと下腹部を軽く叩いてそれを押し込める。ティエリアもそれ以上凶悪なおねだりをすることはなく、もどかしげに瞼を伏せて唇を噛んだ。ティエリアの腰を抱いていた手を顎に添えて促すと、素直に唇が重なる。代わりとばかりに舌をねじ込めば、拙いなりに懸命な舌使いが答えた。
「ふ、んん…んー…」
 零れそうな唾液を啜りあげてから唇を離す。うっすら開いた瞼の隙間から覗く瞳には情欲こそあれど不満の色はなく、微笑んですらいた。唇の端を持ち上げながら、俺はスウェットに潜り込ませた手を再び動かし始める。幼さの残るそれはもうはっきりと主張をしていて、下着を押し上げていた。浮いてできた隙間から指を入れ、芯の裏側をつー、と人差し指でなぞる。それはとくんと脈打って反応し、ティエリアは赤く染まった頬をますます赤くした。まだ余裕がありそうなので、少し時間をかけても良いかもしれない。
 人差し指と親指で輪を作り、そこに先端を挿し込む。扱くというには緩い力と速さで輪を根元まで下ろすと、付け根に至る頃には指の輪は窮屈になった。しかし堪えきれずに先端から滲んだものが滑りを良くしていたので、今度は根元の辺りだけで上下してみる。
「ん、んー…、」
 薄い唇をきゅっと結んだティエリアは、鼻で甘く鳴いた。もどかしさで俺の膝に乗った尻が揺れるが、足が宙に浮いた状態では激しく動くこともできずに募るばかりだ。
「すごい、濡れてる」
 完全に立ち上がった先端からずらされた下着も、その中の俺の手もぐっしょり濡れている。指をくっつけたり離したりすれば、粘り気のある水音がした。
「んん……、や、だ…もう…」
 俺の意地悪にティエリアは舌っ足らずな口を開く。開いてそのまま俺の耳朶を甘噛みして催促した。ベッドで何かして欲しいとき、耳に悪戯をする俺の癖がうつったのだと、いつだったかティエリア自身が言っていたのを思い出す。
 俺の手首まで垂れ、厚手のスウェットにまで染み出したそれに、ティエリアの限界を知った。指の輪を外し、親指の腹で滲み続ける先端を塞ぐ。四指は芯に添えてキーボードか鍵盤にするように、ばらばらに叩いて見せた。
「ぁあ、っあ―――…」
 小豆大の円を描くように親指を動かし、張り詰めた表面を残りの指で押し出してやれば、高くか細い嬌声と共に下着の中で今度こそそれが溢れた。数度脈打って震えるそれを、全ての指を使って扱いてやると残滓も噴き出す。そしてくたりとしなだれたティエリアの下着を元に戻してから、俺はようやく手を引いた。
「…あなたは、ひどい」
「違います。優しいって言うんですー」
 うなだれたティエリアの言葉に応えながら、濡れた手から垂れないよう手術前の医師のように手を丸めて手のひらを天井へ向けながら、腕を交差させてティエリアの身体を抱きしめる。熱を持ち、汗ばんだ肌からは人の生の匂いがした。
 俺の肩に散々擦りつけたせいで乱れた髪にキスを贈ると、呼吸をティエリアは諦めたように再び俺の肩に頭を預けて俺を見上げる。
「もう一度、シャワーを浴びて、もう寝る。でもその前に、洗濯機の操作方法を教えて欲しい」
「……喜んで」
 洗濯するなら良いだろう。そう思った俺はぐっしょぐしょに濡れた手で思い切りティエリアを抱きしめて、もう一度キスをした。


 ティエリアが覚えようとしていることはまだまだ沢山ある。食材は洗剤を使って洗うものではないし、生煮えの肉や芋は食べられない。しかし、この夜シャツについた白い汚れは、ティエリア自身の手で綺麗に洗濯された。