美に国境はない。
 そう断言した上官は、言葉に違わずユニオンのあらゆる人種を、さらには人革連やAEU、果てはジャングルの奥地の少数民族に至るまでのご当地美女と仲良くなっていた。
 美に国境はない。
 彼の場合は行動のレベルが尋常でないが、俺には確かに頷けた。俺の同居人は万人が認める美貌の持ち主だ。特徴的な特徴はない。彫りが深いわけでも、目が取り立てて大きいわけでもない。ただ造形そのものが丁寧で端整なのだ。
 肌は石膏のように白くなめらかで、輪郭はどこにも歪さがない美しい卵形をしていた。鼻は高過ぎず低過ぎず、極細の筆で丁寧に描いたような眉の下には、長い睫毛とやや切れ長の瞳があった。
 全てがあるべき場所に収まって構成された顔。特徴らしい特徴はない。だからその容姿から国籍を辿ることは困難だ。しかし、だからこそ万人が認める美貌となりうる。ティエリアの特徴は、美しいというただそれだけなのだ。


 だからだろう。学会に参加する上司の護衛という名目で訪れた、日本の少女たちの衣装に目を奪われたのは。
 いわゆる着物と呼ばれるものに似ているが、ボトムはコリアンを彷彿とさせた。名前は分からないが、黒髪が映える白いうなじが覗く襟は、露出の割に品がある。ウェストには何か仕込んでいるらしいが、アンダーバストから下を覆うボトムがすうっと足首まで伸びているので、太さを感じさせない。これなら同居人の細い体躯もカバーしてしまうだろう。
 それに何よりもこの国独自の模様が美しかった。チェリーブロッサムが主流のようだが、カメリアや薔薇を描いたものもある。色も赤から紫、黒と様々で、見た目にも華やかな装いだ。
「ああ、そんな時期なんだね」
 少女たちを凝視していた俺に気付いた上司が言った。彼はこの国に滞在していた期間が長く、文化にも精通しているのだろう。声には感慨が混じっていた。
「何なんですか?」
「卒業式だよ。大学か、専門学校の。女の子はあれを着るのが義務みたいなものだから」
 分かるようで分からない説明だったが、とりあえず納得したように相槌を打ち、視線を少女たち―――東洋人の特徴として幼く見えるが、年齢的にはこの呼称は失礼だろう―――彼女らに戻す。目は自然と彼女らの衣装に留まり、分別していった。
 ふと、こちらに向けて嬌声が発せられる。凝視が過ぎたのか、彼女らは俺に気付き、手を振って歓声を上げていた。
「おやおや」
「すみません」
 肩を竦める上司に詫び、軽く手を振り返してからその場を離れる。ああいうテンションの、しかも集団の女性と関わると時間がかかるものだ。残念そうな嘆息を背に歩いていると、隣りから笑いを噛み殺した声がかけられた。
「随分熱心に見ていたね」
「珍しくて、つい」
「それだけ?」
 え? と聞き返そうとした瞬間、あの衣装を着た女性と擦れ違う。ピンクのトップに紫のグラデーションのボトム。上半身には花の模様がちりばめられて、華やかさと可愛らしさが併存していた。髪は肩につかないくらいで、後頭部に大きなコサージュをつけている。これなら、
「彼にも似合いそうだね」
「うえっ!?」
 先回りした発言に振り返ると、彼はもう笑いを噛み殺すことを放棄していた。
「カタギリさん…」
「でもあれは女性用だし、それに巻き付けてあるだけだから相当苦しいらしいよ。着せるのは無理じゃないかな」
 その言葉に、羞恥以上に無念を覚えた俺は、もう引き返せないところまで来てしまったのだろう。彼の笑い声にこそ恥じらいはしたものの、だって可愛いのだから仕方ないじゃないか、などと益体もない買い物をする少女のような言い訳を思いついてしまった。
「ああ、もう、いいんです! さっ、買い物行くんですよね!」
「うん。ちょっとかさ張るものばかりだけど、ごめんね」
 意識から和装をしたティエリアを振り払った俺は、まだ口許に微笑をたたえた彼と共に日本屈指の電子街に踏み入った。


「やあロックオン」
 その出張から戻った数日後、胸ポケットに封筒が差し入れられた。
「何ですか、カタギリさん」
「この間のお礼だよ。重いパーツを持ってくれたから」
「ほう、カタギリ、私を差し置いて彼に恋文か?」
 俺より先に俺の胸ポケットを探ろうとする中尉を、彼は珍しく力技で押し退ける。
「本当はデータで渡したいんだけど、君の家の電子機器は全て彼の管理下だろうからね。あと、グラハムにも見せないように。何が起きても保障しないよ」
 そんな物騒なもの渡さないで下さいよ!
 叫ぶ間もなく、グラハム中尉の耳を摘んだ彼は白衣の裾を翻して去ってしまった。一人残された俺は、溜め息を一つ吐き、封筒を開け―――絶句した。
 中にあったのは一枚の写真。ピンクのトップスに紫のグラデーションのボトムの和装をした、ティエリアの。
 素人目には素の写真にしか見えないが、それがありえないことはユニオン屈指の科学者が証言した。コラージュであることは明白だ。しかし素材となるティエリアの写真を一体どこで。


 ぐるぐる巡る思考は、やがて写真に写った美貌に収束していく。美に国境はない。それを体現するかのような、美しいティエリアの艶姿だった。本人が見たら即座に焼却するであろう。とりあえず、これは基地のロッカーの奥にでも貼っておくことにしよう。何しろ、美に国境はないのだから。