赤銅色のイナクトを、リニアライフルから放たれた閃光が貫く。光を吸い込んだコクピットに座していたのは、戦争狂と称するに相応しい男だった。その技量と貫徹し切った生き方には、私は敬礼を捧げても構わないとすらわずかに思う。だが、引き金を引いた部下を思い出してそれを止め、通信回線を開く。
「こちらコマンダー。作戦終了。全機帰投せよ」
 このアザディスタンにおける前線基地への通信を切り、フラッグを旋回させる。飛行形態に変形させる前に、カスタムフラッグの手を後方から引き金を引いたロックオンの機体に触れさせた。いつものことだが、彼は前衛の味方の隙間を縫うように敵を撃ち抜く。それは今日も同様だった。だが、いつもならその技量に賞賛を贈る私の舌が、今日は苦々しく歯の間で歪む。
 フラッグのEカーボンを通して接触回線から聞こえた叫びは、他の何者にも届かず、ただ私のフラッグのコクピットを揺らして鼓膜を刺し通し。そして胸を苛んだ。




 その日その戦場で最後に死んだ男は、アリー・アル・サーシェスといった。テロリスト、ゲリラ、傭兵、軍人。およそ戦争に携わる全ての肩書きを持つ男は、古巣の砂漠で朽ち果てる。ロックオン・ストラトスは、彼の家族と故郷を瓦礫に埋めた男を、彼の仇を討ったのだった。かの男がアザディスタンで活動していたこと、アザディスタンがユニオンに支援を求めたこと、ロックオンがユニオンに属していたこと。それら全てが、あるいは必然だったのかもしれない。だがそれを望んだものか果たしてあの場にいたのかどうか、私には断じ得なかった。
 砂塵とオイルとイオンジェット特有の臭気をシャワーで洗い流したのは、私が最後だった。いつもなら帰国後にはビールとシャンパンを浴びせあう恒例行事があるのだが、皆、今日ばかりは押し黙ったまま帰途に着く。ユニオンが、MSWADが派兵された作戦として今回より大規模なものはいくらでもあったが、今回ほど後味の悪いものはそう多くない。自分が年端もいかない子どもを殺したと知っている相手と、また肩を叩き合って笑うには各々のホームで休養が必要だった。
「まだ帰らないのか」
 しかしロッカールームには先客がいた。床に座って煙草をふかしていたのは、もっとも休養を必要としているはずの部下だ。アザディスタンの戦場で彼が放った慟哭は、いまだ疲労とともに私の内側にこびりついている。
「君の愛しい人が待ちわびているだろうに。早く帰って抱きしめてもらってはどうかな」
 片膝を床につき、煙草をくわえている顎先に指をかけて仰向かせる。予想していた抵抗はなく、軍人にしてはかなり長めの前髪が流れて、伏せられた睫毛の隙間から青い色が覗いた。空軍の象徴たる色だ。だが今はそれも翳って見える。
「まるで曇天だな」
 そう揶揄しても彼は薄く笑っただけで何も言わない。手を振り払うこともしない。いつもなら全力で拒否される友愛の口づけも、今なら容易くできるだろう。しかしそれをする気にはならなかった。
「今の君には魅力に欠ける。何より煙草臭い。ティエリア・アーデもこんな君は御免だろう」
「だから帰らないんですよ。何というか……そう、機嫌。直さないと、帰りづらくて」
 薄ら笑いが苦笑に変わる。苦痛をやり過ごすのに大人が使う手段だが、歪んで揺れる瞳は、童顔な私から見れば羨ましい年相応の凛々しい顔立ちが、あたかも迷子の子どものように見せた。ひとまず唇の端にぶら下がっている、子どもには似つかわしくない物を奪って、彼の左手に力なく握られていた携帯灰皿にしまい込む。そのままロックオンの隣に座り込むと、嗜好ゆえか幼い恋人のためか、彼が吸っていた煙草の臭いは薄く、空調がたちまちに空気を正常なものとすげ替えた。
「カタギリは、イナクトを指してフラッグの猿真似だと評したが、」
 ぴくりと隣の肩が動いたのがわかったが、構わず続ける。私は私の思う所しか口にはできない。
「あれは強かったな。良くやった」
「ま、美味しいところを攫うのはスナイパーの役得なんで」
「根拠が弱いな。君はいつも貧乏クジばかりだ」
 誰の所為ですか。
 彼はそう言ったのだろう。言葉のほとんどは彼の口角辺りに引っかかって淀んで消えて聞こえなかった。うなだれた様はまるで敗者だ。
「胸を張れ、ロックオン・ストラトス。君は我がMSWADが対峙した最強の敵を討ち取った。君はその功績と技量を誇るべきだ」
「……中尉に昇進できますかね」
 彼は背をみっともなく丸めたまま無様な薄笑いを見せる。私がかけた言葉が彼の望むものではなかったことは明白だ。だが故郷や家族を喪ったことのない男が吐く薄っぺらで無力な言葉はそれ以上だろう。結局、野蛮で無粋な軍人に過ぎない私は無意味な言葉を口にするのを止め、肉体による実力行使を選んだ。
 癖はあるが、羽毛のように柔らかな手触りは思っていたより心地良かった。シャワーの名残がなめらかに指を滑らせる。濡れているためにいつもより大人しく寝ついたそこに指を押し込むと、丸い皮膚とその下の頭蓋骨に触れた。指先に感じた熱に、鼓動が早まる。今この頭と脈打つ心臓の中で巻き起こっている嵐を想った。
「……なんですか」
「君は私の誇りだ、良い子だよ」
「なんですか、そりゃ……っ」
 呆れた声音が、掌の下にある顔と同様にくしゃりと歪んで伏せられる。膝を抱えて座り込んでいる、頑是ない子どものようなロックオンを、私は息と鼻水をすする音が狭いロッカールームに反響しなくなるまで撫で続けた。


 送っていきますよ、という申し出は一笑する。
「早く帰りたまえ。君の愛しい子が君の帰りを待ち詫びている」
 照れもせずに笑いながら車に乗り込む彼を見送り、遠ざかるエンジン音を鼓膜に感じながら踵を返す。
 ―――ティエリアには内緒ですよ。情けなくて。
 顔を拭った彼が苦笑と共に漏らした言葉は、彼が流した涙と同じだけ切実だった。涙や弱さを人に見せるのは私も趣味ではない。見せるのはそれを打破する瞬間の自分だけだ。だが、ロックオンが帰るべき家に彼を慕う人を待たせながら、一人涙を飲み込む様はどこか一抹の淋しさを私に残していった。
 ロックオンの帰りを待っているあの子は、上手に隠された涙に気づくことはあるのだろうか。ロックオンに向けられる気が狂いそうなほどの愛情を、私は知っている。ティエリアがそれを知らされないことは、ロックオンという人間の一端を隠されることは、酷く哀しいことのように思えてならない。
 無論それに干渉するつもりはないし、ティエリアに告げるつもりも毛頭ない。ロックオンがティエリアのもとには笑顔で帰りたいというならそうすべきだし、最愛の者を他者に与えられることなど、ティエリアが望むとも思えないし、無粋に過ぎる。
 だがいつか、ロックオンがあの綺麗で幼い恋人に、脆弱さも醜さも見せられるようになればいいと、この時の私は柄にもなく思った。