「しかし、よくやるよなぁ」

 ラベンダー色の下着をつまみ上げて眺める。細かいレースのついたそれは、どうひいき目に見ても高級なものに違いなかった。たかだが一発ネタのために手の込んだことをするものだと感心する。
 ついサイズが気になってタグを探したが、それらしきものは見あたらなかった。もしかしたら特注品という奴なのかもしれない。いつ測ったのかと問うたものの、本人にその記憶はないようだった。俺以外の人間の前で肌を晒されてもそれはそれで穏やかではないが、こうも謎だと気味が悪い。だが一方で、隊長ならば出来そうだという妙な確信もあり。
「つける?」
 くるりと寝返りを打って、こちらを観察している赤い瞳に問いかける。自分に振られるとは思わなかったのか、少し驚いたような顔を一瞬だけして、それから表情を消した。無愛想に寝返りを打ち、背中を向ける。
「理由がない」
「あっそ」
 ちいさく笑って下着を放り出した。もしも俺のためにつけて、と懇願したら彼は承諾するだろうか。元々ノーマルとかアブノーマルとかそういうことに頓着はなさそうだ。しかし彼にこれをつけさせた男のように、明確な理由があるわけでもない。彼にとって俺はまだ「わからない」存在らしいから。きっと、わからない相手のために動くこともないのだろう。
 そのくせ彼の背中にはいくつもの鬱血の痕がある。数が多すぎて可愛げもなく、痩せた身体と相まって、まるで虐待された子どものような印象さえ受ける。つけたのは俺で、許したのは彼だ。それなのに彼は分からないという。いくら好きだと囁いても首を傾げるばかりだ。身を預けて、身体を許して、あんなに可愛い声で啼くくせに。ひどい子だ。
向けられた背中を引き寄せて、首筋にあった鬱血の痕を吸う。上書きされるように赤く滲んで、掠れた喉がちいさく啼いた。行為の後のぼんやりとした、何のふせぎもない相手には、少しばかり刺激の強い触れ方だった。
 彼はそういう刺激を嫌うから、普段は反応を確かめながらゆっくりと高めてやる。けれど今はそんな余裕もなかった。生憎、あんな仕打ちをされて優しくできるほど人間が出来てもいない。
 後ろから抱きすくめながら首筋に口づけ、手のひらで突起を転がす。それだけで腕の中の身体は震え始めた。既に放った後だったせいか、不意打ちだったせいか、いつもより反応がいいのが少し楽しい。
「ぁ、やめっ…、」
「やだ」
 抵抗しようと暴れ始めた腕を諫めるように性器をなぞると、簡単に力が抜ける。一度萎えたそれが手の中で再び張りつめていき、じわじわと腺液が指先を濡らし始めた。それに呼応して喉が浅い息を繰り返す。今まで遭わせたことがないような性急な刺激に、戸惑うように身震いしていた。しかし止めるつもりはなく。
「じゃあさ、どうしてお前、俺とこんなことしてんの?」
 達しそうになって目を細めた相手に問いかける。高め続けた刺激をはぐらかすように指の動きをゆるめると、腰が押し付けられてそれを責めた。経験したことのない意地悪い真似に戸惑っているようで、すぐ傍にある首をもたげてこちらを見ようとする。涙の滲んだ紅茶色の目が可愛くて仕方がなかったが、残念ながらそれは優しくなる理由にはならない。
 とくりと波打つ性器からそろそろと指を離すと、相手が身を強ばらせる。予想だにしなかった仕打ちに戸惑って息を呑む様が楽しくて仕方ない。やめろって言った、と耳元で囁くと、相手は薄い唇を噛みしめるだけだった。ティエリアは自分から求めることはしない。いつだって、与えられるのを待つだけだ。そういうティエリアを可愛いと、思っていた。
「俺が教えたから? 淋しいから? なんも得られないって言ったの、お前だよな」
 だから、いつだって俺が与えればよかった。そうすればティエリアは俺以外を求めなかった。俺がいなくなれば淋しいと言って泣き、時には俺を独占しようとして駄々をこねた。俺以外を知らない無垢な目が、俺だけを求めることで満たされていた。それを愛情だと思っていた。
「ん、ぅ…ふ、」
 決して声をあげようとはせず、噛みしめた唇がみるみる白くなっていく。鼻にかかった甘い声と、潤んだ目が控えめに強請るだけだ。それをいいことに赤くなった耳に舌を這わせたり、突起のあたりをなぞったりしてごまかしていると、すぐ傍にあった頭が拒むように振られる。そんなに苦しいのなら自分の手ですればいいのに、細い指先はいたいけに強くシーツを掴んでいるだけだった。俺がそれ以上の快感を教え込んでしまったせいだ。俺が触れてやらなければひとりで達することも出来ない。そんなティエリアが、可哀想で、可愛かった。
「あっ、あ、ああっ!!」
 散々焦らした後緩く扱いてやると、それだけであっさりと吐精する。一際高くなった声はもうくたびれて掠れていて、罪悪感が胸を過ぎった。吐き出されたそれを手で受け止めてやると、ぬるい精の匂いがあたりに充満する。丸まった背中に残った痕が、俺の中にある醜さを突きつけていた。
 気がつけば、俺の淋しさがティエリアをずたずたに壊していた。与えているつもりで奪ってばかりだった。俺が、ティエリアを俺の中に閉じこめていただけだった。愛情を言い訳にして。
 本当にティエリアが好きならば彼の変化だって受け入れられる筈だ。受け入れようと思っていた。それなのに、ティエリアが明確な意思を示すとそれだけで傷つく自分がいる。淋しさに潰れそうになる。淋しいと泣いた彼を拒んでおきながら。
 精液まみれの手を仰いで眺める。ぽたぽたと頬やシーツにそれがしたたり落ちていくのも構わずに、残酷な言葉を吐き出した。
「お前が、女の子だったら良かったのに」
 向けられた背中がびくりと跳ね、そろそろとこちらを伺うように身を起こす。傷ついた双眸には見ないふりをして、続けた。
「そしたらなんか得られるのに。そしたら、ちゃんと家族になれるのに」
 そうしたら、合法的に彼を縛り付けていられるだろうか。繋がっていられるだろうか。この家だってもう少し格好の付く場所になっていただろうか。それと、俺たちの関係も。
 けれど、どんなに少女のような恰好が似合ってもそれはまがい物でしかなく、いくら中に吐き出してもなにもない。この行為自体がまがい物で、何一つ確かなものは作れない。それを承知で触れた筈なのに、今は淋しくて仕方がなかった。
透き通った目がしばらくこちらを見下ろしていた。それだけで泣きそうになった。どうも今日の俺はおかしい。嫉妬心だってもうちょっと上手くごまかせるし、こんな地雷みたいな言葉だって吐かない。自覚している以上にショックを受けていたということか。情けない。
「…家族が、欲しいのか」
 掠れた声で、落とされた。感情のない声だった。少し迷って、情けないついでに頷くことにした。もうこの状態では、恰好もつかないと諦めた。普段は絶対に言わない台詞だ。
「ああ、欲しいな。俺以外の家族、全部死んじまったから」
 汚れていない方の手を伸ばしてティエリアの頬を撫でる。性的なものを感じさせない触れ方に安堵したのか、目を細める様はひどく幼い。こういう触れ方だけで終わらせておけば、淋しさも知らず穏やかに過ごせたのだろうか。愛情の示し方を間違えてしまったのだろうか。
「だから、今は――…」
 その先を続けて良いものか迷った。そう形容してしまうと、彼をまた動けなくしてしまう気がしたから。縛ってはいけない。閉じこめてはいけない。彼は彼のもので、俺のものではない。錯覚しそうになるのを押しとどめて、違う言葉を口にした。
「今は家族もいねえんだ。ひとりだよ」
 細められていた目が淋しそうな色を宿した。それに見ないふりをして、そっと頬から手を離した。
 しかしすぐに細い指先に絡め取られる。不器用に引き寄せようとする指先に、されるがままになった。どうすれば強く繋がれるのか、あれこれと模索しながら絡めては離れることを繰り返す。その向こう側で、赤い双眸が見下ろしていた。
「あなたも愚かだな」
 そうして、痛いくらいに握りしめられる。形の良い爪が食い込み、皮膚に赤い痕を残した。自分に残ったそれを見ながら、ティエリアの背中を思い出していた。
「二人に訂正しろ。でなければ許さない」
 一瞬、言葉を失った。
 一体俺のどれだけを理解してそんなことを言っているのかは分からない。恐らく、半分も分かっていないに違いない。そうでなければそんな台詞、おいそれと吐けるわけがない。この子は自分が俺に壊されかかっていたということを分かっているのだろうか。今ならまだ刷り込みで終わらせられるだろうに。
「……やっぱ、馬鹿なのはお前だよ。ティエリア」
 そんなティエリアが、可哀想で可愛かった。嬉しくなって腕を引くと、バランスを崩して俺の上に倒れ込んだ。それを受け止めると、確かな重みと同じ匂いに嬉しくなった。そこに確かにいるのだと感じられ、ようやく安心できた。相手を汚すのも構わず、蹂躙し尽くした背中を撫でて、形の良い頭を強く肩に押し付けて。
 見えないのをいいことに、こっそりと泣いた。