クリスマスとなると自然と誰もが浮き足立つものだが、こと、ティーに限ってはひどく真剣にその行事を迎えんとしていた。笑えることに、日々、クリスマスが近づくにしたがって、緊張とみなぎるやる気のためか眉間のしわが増えている。あまりの様子に、準備、嫌なら手伝おうかと一度だけ提案したことがある。そのとき彼が鼻の穴を膨らませて、何を言うか、この僕が完璧に準備してみせる、と自信満々に答えたため、オレは若干引きながらとりあえず頷いたのであった。
 そして当日。
 気合い充分の彼は朝から買い出しに出かけており、オレたち双子はすっかり居間でダラダラする係となっていた。テレビのチャンネルも定めずにぼうっと眺めるだけの兄さんを横目で見ながら、オレはというと端末で贔屓のサッカーチームの勝敗を調べていた。つまり、どっちも暇を持て余していたのだ。
 兄さんも手伝いを提案したらしいのだが、一度決めたら一直線で頑固な恋人にあえなく突っぱねられてしまったそうだ。いいんじゃねえの、楽でさ。とあっさり笑っていた彼も、当日になるとやはり落ち着かないらしい。何せ、冷凍のピラフに二時間かける相手なのだ。
 しかし、ティーの気持ちも分からないわけではない。オレも兄さんも、お互いに原因が思い当たるから何も言えないでいる。いつぞや兄さんと、両親が生きていた頃の、クリスマスの思い出話で盛り上がってしまったのがいけなかった。あのときはあんなケーキを食べた。サンタクロースの砂糖菓子をほしがる妹に、二人で譲ってやった。そんな、他愛もない話ばかりだ。あの頃に戻りたいだとか、そういう湿っぽい話題ではなかった、筈だ。
 それが、彼の中でどんな風に解釈されたのかは分からない。分からないが、とにかくそのときからだ。彼が、クリスマスの準備は全部自分がするから二人は何もしないでいいと言い出したのは。
「がんばってんのは分かるけどなぁ…」
 彼のやる気が空回りに終わらなければいい。それを祈るばかりだ。ため息を吐き出して、罪づくりな男をにらむ。分かっているのかいないのか、兄さんはいつも通りにリラックスをして、ようやくチャンネルが定まったのか、豪華なクリスマスツリーを中継する番組をじっと凝視していた。
「すっげえ…キラキラしてる。連れていったら喜ぶかな」
「その前に人混みにうんざりする方に50」
「…おまえ、俺よりティエリアのこと分かってるみてえ。ムカつく」
「子どもに懐かれやすいだけだよ」
 大人げない我が兄の嫉妬混じりの悪態をいなすと、またも大人げない蹴りが飛んでくる。それをかわしながら、端末を閉じようとした。その瞬間、一件の新着メールが飛び込んでくる。
 送信者名が目に留まり、少し驚いた。オレたちが帰りを待っているその人だったからだ。兄さんのジーンズの尻ポケットに収まっている携帯端末も同時にバイブが震え、彼も旧式のバネ人形のようなものすごい勢いで立ち上がる。

『荷物が多すぎて持ちきれない。手伝って欲しい』

 あれほど手伝いは無用だと主張していた彼の、苦渋の決断を下した顔を思い浮かべて少し気の毒になる。同時に、どれだけの買い物をしたのかということも思って気が遠くなった。彼はとにかく完璧主義で、加減というものを知らない。適当なところのある兄さんと相性はいいのかもしれないが、度が過ぎるところもままあり、果たして今夜のディナーは時間通りにできるのかと、まだ長針が頂点を横切って間もない時間にも関わらず心配になった。
「迎えに来いってさ、兄さん。ランチアで行ってやれば?」
 端末を凝視している兄に問いかけ、一瞥した。そのとき同じ顔なのにまるでティーのように強ばった表情を浮かべているのに気づく。真っ青になって震えながら、小さな声で彼が言葉を漏らした。
「ランチアはまずい…」
「なんでだよ?」
「後部座席にプレゼント転がしたまんまだ!」
「これだよ…」
 これだから大雑把なO型は。自分も同じ血液型なのを棚に上げて、思わず呆れてしまった。動揺のあまり放心状態の彼を後目に、努めて冷静な意見を添えてやる。
「トランクに押し込めばいいだろ」
「そっちはそっちで俺の秘蔵のコレクションがだな」
「ンなとこにンなもん詰めるな。これを期に捨てちまえ」
「お前は鬼か!」
「…なんでオレが怒鳴られるんだよ」
 かつて見たことがないほどの兄さんの気迫に激しい動揺を知るが、しかしこちらの知ったことではない。深く、ふかくため息を吐き出して、あくまで冷静さを保ったまま更に言葉を続けた。
「別に、サプライズじゃなくてもいいじゃねえか」
「…えー」
 子どものように唇をとがらせる兄さんというのは正直、気持ちが悪い。こんな風に甘えた表情を見せられるくらい距離が縮まったのは、十年離れていたという事実を顧みれば喜ばしいことなのだろうが、それは別としてやはり、オレたちはどうしようもなく兄弟であり、背筋がむずがゆくなるのを抑えることができなかった。
「そこで兄さんからの提案なんだけど……ライルちゃん」
「さーて、庭の草むしりでもしてこよっか」
「オイ待て。待てって!」
 甘ったるい呼び名と猫なで声に耐えきれず場を離れようとした瞬間、兄さんにむんずとパーカーの端っこを捕まれて首が締まる。その力強さに拒否権はないのだとひしひしと実感し、何度目か分からなくなるくらいのため息を、密かに吐き出した。






 兄さんの提案というのは、単にランチアを使うのをあきらめるというそれだけのことだった。そのため荷物持ちがよけいに必要らしく、オレもかり出されるはめになった。冷静に考えれば、徒歩とメトロで繁華街に向かうのは結構な労力なのだが、もっと面倒なことをいろいろ想像していたために、つい頷いてしまった。
 コートの袖に腕を通しながら、安請け合いし過ぎたかと若干の後悔を覚える。まぁ、断ったところで家でダラダラしているだけで、取り立ててやることもないのだが。唯、兄さんの思惑通りに操作されている現状が少し気に食わないだけだ。
 ため息をまた吐き出して、コートの上からくるくるとマフラーを巻く。そこにグローブをはめれば一応寒さはしのげるだろう。ニットキャップを一瞥して迷ったが、さすがに大げさすぎるかと思い、やめておいた。
「こっちは出れるぜ、兄さん」
「オーケイ、こっちもだ」
 そう言って寝室から出てきた、同じ姿形の男を見て―――。
 オレは、意地汚くも、内心で「勝った」と思ってしまった。
 一目で分かる、生地の薄いぺらぺらのコートに、毛玉の目立つ年代もののマフラー。とどめはUNIONと大きく編み込まれたお世辞にもセンスがいいとは言いがたいニットキャップだ。ぶっちゃけ、ダサい。ダサすぎて声も出ない。オレが兄さんの彼女なら並んで歩くのもごめん被るレベルだ。かねてから彼のセンスには疑問を抱いていたが、ここまで強烈だとは思わなかった。しかし幸いなのか不幸なのか、彼の恋人は最近までジーンズの存在を知らなかったほどにファッションには疎く、兄さんの服装について文句を付けるということすら知らないだろう。つまり、なにも問題はない。すべてが、オール・ライトなのだ。
「…どうした? ライル」
 何の疑問をもたずこちらへ笑いかける兄さんに、オレがなにも言うことはない。
「いいや。行こうぜ、兄さん」
 オレは、あらゆるものに目をつむってから、商社マン一年目のときに給料のほとんどを費やして買った立派な仕立てのコートの襟を、まっすぐにたてながら笑った。意地汚い優越感がこみ上げてくる自分に軽い嫌悪を覚えながら。



 そうして出かけたオレたちだが、ティーのいる場所の最寄り駅に行くまではよかったのだ。メトロの遅延もなく、タチの悪いオヤジに絡まれることもなく、さりとて無遠慮なスクール・ガールたちに遠巻きに噂をされることもなかった。もしかしたらオレが思うより兄さんのあの格好は「アリ」なのかもしれない。着ている本人が何の恥じらいも見せず、堂々としているのも大きい。
 やはり優越感など何の意味も持たないのだ。苦い反省をかみしめながら兄さんを一瞥すると、兄さんはオレの視線など全く意に介する様子を見せず、メトロの改札口の隅っこで小さくなっている老婦人をじっと見つめていた。
 その目つきがいやに真剣で、思わずいぶかしがってしまう。確かに彼は昔からオレよりも年上に覚えがいい方ではあったが、それにしてもストライクゾーンが広すぎではないだろうか。第一、彼にはこれから迎えに行く恋人がいるというのにまずい。
 そう思い、とっさに声をかけようとするよりも一瞬だけ早く、彼が動き出したのだった。
「おい、兄さ…」
「そんな格好じゃ寒いでしょう。冷やすと身体に毒ですよ」
 そう言って素早く自分の薄いコートを脱ぎ、老婦人の肩に掛ける。その動きの素早さに相手も反応し損なったのか、ゆるりと細められていた目が見開かれるだけで終わった。つられて、全く予想もしていなかったオレの目も見開かれる。
 ワンテンポ遅れて、老婦人が慌ててコートを返そうとするが、兄さんは持ち前の強引さで決して脱いだコートを再び受け取ろうとはしない。しばらくの押し問答が続いた後、にこにこと笑いながら、待たせたな、ライル、とコートを脱いでマフラーとニットキャップだけになった兄さんが戻ってきた。メトロの地下に似合わぬ、その寒々しい姿にオレは言葉をなくしてしまった。
「…寒くねえのかよ」
「ん? 別に」
 笑って胸を張ってみせる彼に、なにも言えなくなる。すでに優越感どころか、敗北感で胸がいっぱいになって歯噛みした。平気な顔で恥ずかしいニットキャップや薄い生地で縫い目のほつれたコートを身にまとうくせに、当たり前のようにこういうことができるから腹立たしいのだ。相手が頭を下げる前にさっさとその場を去ってしまう素早さにすら苛立って、勢い任せに適当に巻かれた古いマフラーを巻き直してやる。勢い余って首を絞めてしまい、苦しいと抗議の声を漏らされたけれど、さっぱり聞こえない振りをした。こういう格好良さはずるい。心底思って、ついでにダサいニットキャップを目深にかぶらせた。勢いよくきびすを返し、さっさと先を行く。
「…なに怒ってンだよ、ライル」
「怒ってねえし」
「嘘つけ。ティエリアみたいに眉間に皺寄せやがって」
「ンなわけねえ………、ッ!?」
 勢いよく振り返り、反論しようとした。けれど。
 振り返った先に兄さんはおらず、何度目かわからず目を見開いてしまった。キョロキョロとあたりを見回せば、また地下道の隅で、チケットを買う母親を待っているのだろう、薄着の子どもにマフラーを巻いてやっている。寒くなるばっかりなんだから風邪引くなよ? お兄ちゃんは大丈夫なの? 当然だ、兄ちゃんはフラッグファイターだからな! そんな会話をかわしながら、自分にしたように無造作にぐるぐるとマフラーを巻いている。小さな子どもの細い首に、大人用の長いマフラーは不格好で、けれどひどく温かそうにも思えた。
 オレがつまらないことで苛立っている間に、どうしてこいつは。思わず歯噛みした後、マフラーがはずされてあらわになったシャツの襟をむんずとつかんだ。まん丸に見開かれた、同じ色の瞳によほど何か言ってやろうと思ったけれど、うまい言葉が少しも出てこず、仕方ないのでため息を吐き出す。
「見てるだけで寒いだろ」
「あはは、悪いな」
 これだけ好き勝手に連れ回しておいて、マフラーを寄越せとか、コートを寄越せとかそういうことは言わない。分かっている。そういう奴なのだ。
 いいことをしている相手の筈なのに、ずるい奴だと思ってしまった。コートの立派な生地で鼻の頭を赤くなるくらい乱暴にこすった後、のろのろと二人、メールで指定された場所へと向かう。
 少し離れて前を歩く兄さんは寒そうで、薄手ではないがゆったりとしたデザインのセーターを目を細めて眺めていた。そうしている間に、規則的に動いていた足がぴたりと止まった。
「あれ、ティエリア?」
 ―――どうやら、目的の相手を見つけたらしい。
「ロックオン!」
 今度は兄さんも目を丸くしたので、ついオレもつられてしまった。確かに少し驚いた。広場で、大荷物を抱えて座っている彼もまた、部屋にいるのとそう変わらないくらいの薄着だったのだから。出かけるときはあんなに兄さんにうるさく言われて、コートやらマフラーやらを着せられていたのに。細身にもこもこと着膨れした防寒具はどこにも見あたらず、いつもの薄手のカーディガンとシャツを無防備にさらしている。こちらが問いかけようとした瞬間、端正な顔が不意にゆがんでくしゃみをした。それを黙って、兄さんが抱きしめる。
「すっかり冷たくなっちまって…どうしたんだよ」
「コートを忘れてしまった少年や、指先が冷えるという老人に貸し出していた。そうしたら、いつの間にかこんなことに…」
 あなたからもらったものばかりだったのに、すまない。そう付け加えながら、細い腕が抱きしめ返す。兄さんは何も言わなかった。かわりに、体温を伝えあうようなやさしい抱き方をお互いにかわして、くすくすと笑いあっていた。
「なんだよ。同じじゃねえか」
「…同じ?」
「俺も、コートやらマフラーやらやっちゃってさ。もう寒くって」
 わざとらしく大きなくしゃみをして応える兄さんに、今度はティーが目を丸くする。眉間の皺を一本増やして、僕にはあれほど風邪を引くなと言っていたのに、と心配そうな声音で重ねた。
 そういう二人を、オレは、素直にうらやましいと思い―――。
 抱きしめあっている二人の肩に、無造作に、着ていたコートとマフラーをかぶせてやった。
 オレの不意打ちに、二人が目を丸くする。そんなに驚かなくてもいいだろうと思うのだけれど。オレだって、たまにはいいかっこをしたいのだ。ふいとそっぽを向きながら、やけくそになって二人にグローブも投げつけてやる。革製の暖かいそれは、さっきまでオレがしていたせいで充分にぬくい筈だ。
「…着れば。寒いだろ」
 低くつぶやいたとたん、鼻先に冷たい風がかすめて、くしゃみが破裂する。まったく。ちっとも格好がつかない。しかしそれがかえってよかったのか、兄さんとティーは見つめあって笑う。それからコートをティーに、マフラーを兄さんが分けあって、オレの体温が残るグローブは、お互いの片手にすっぽりと収まった。
 自然に分けあっている二人の仲の良さに口の端をつり上げて、少し後ろから眺める。ティーの大荷物をさりげなく兄さんが持ち上げたので、こちらも大げさなほどのツリーや飾りを抱え込んだ。自分から身ぐるみをはがしてしまった分、せめて荷物でも抱きしめて暖をとってやろうとおもった。格好付けるということは、存外に難しいものだ。
 また勢いよくくしゃみをしてしまいそうになって、すんでのところで飲み込んだとき。少し前を歩いて手をつないでいた二人が、ふとした拍子に振り返った。
「ライル」
「…何だよ」
「お前も寒いだろ?」
 顔を上げると、二人がグローブをしていない方の手を同時に差し出してくるから呆れてしまった。いったい、何のための荷物持ちなのか。両手がふさがってしまってはろくな荷物も持てないだろうが。そうは思っても、笑顔がにじみ出るのを抑えられない。仕立てのいいコートや革製のグローブをひとりで着るよりも、あたたかい。
「バッカじゃねえの」
 悪態をつきながら二人の手を握った。彼らが手に提げていた袋を一緒に握りながら、三人で並んで道を歩く。
 二人の手のひらの感触を確かめながら、兄さんと、エイミーと、三人で手をつないで歩いた頃のことを思い出していた。
 あのときも―――あのときよりも、たぶんあたたかくて。少しだけ、泣きそうだ。
 家に帰って、不器用なティーのクリスマスの準備をなんだかんだと言いながら手伝って。料理を食べて、ケーキを食べて。兄さんのランチアの中にあるだろうプレゼントをからかって。そういう、これから過ごす当たり前のクリスマスが楽しみで仕方なくて。
 ―――幸せだと、思ったのだ。