年始の休暇は家で過ごすものだとばかり思っていたから、同居人に突然『買い物に行きたい』と言われたときには驚いた。年末の食料品の買い出しすら面倒くさがっていたのと、同じ相手とはとても思えない。
 あれだけ電化製品に埋もれてなお、まだ何を買うのかと思わせられる。袋の中身は最高画質のデジカメから、皮をむかずとも作れるジューサー、用途不明のPCパーツまでよりとりみどりだ。
 しかし、寒さに白い頬を赤くしながら、満足そうに電気店の袋を抱えるティエリアを見ていると、まあいいかという気持ちになるのも事実だった。つくづく甘い性格だと自分でも思うが仕方がない。
「帰ったらこれでバナナジュースが飲みたい」
「はいはい。帰りにバナナ買って来なきゃな」
「皮を剥かなくてもいいんだ」
「……バナナくらい剥こうぜ」
 俺の至極真っ当なツッコミを不満に思ったのか唇を尖らせる。剥かなくていいというから買ったのにとちいさくつぶやいた。彼はジューサーが欲しいのではなく、皮を剥かなくてもジュースが作れるという機能が欲しいのだ。
 手段が目的化しているのはいかがなものかと思う。どうせこのジューサーも、一週間も経てば無用の長物と化すのだろう。そう思うと機嫌のいい横顔も大事そうに箱を抱く手つきもなんだかむなしい。さんざん愛を語っておいて、一ヶ月後にはあっさりと別れる隊長と良く似ている。相手がモノであるだけましなのかもしれないが、どちらにせよ健全ではない。先日も山のような請求書の束を整理したばかりだ。何よりも一番恐ろしいのは、あれだけ買い占めても一向に尽きる様子を見せない彼の預金残高なのだが。確かデイトレードは休んでいる筈なのに、一体どこから資金を調達しているのだろう。
 ぶるりと寒さのせいだけではない悪寒を感じながら、近くに停めておいた車に荷物を押し込む。最後に助手席にティエリアを押し込んだ後、ドアを閉めた。追って乗り込む様子を見せない俺を訝り、一度はシートに預けた背を離して身を起こすが、笑みだけ返してロックをかける。
 別に意地悪をしているわけではなかったのだ。唯、すぐ近くに食料品店を見かけたので、買い物をしてから車に戻ろうと思っただけで。目的は勿論、先ほど話題に上ったバナナであり、つまりはティエリアのためだった。ほんの十分程度なら、席を外すのも良いと思ったのだ。



 なのに、なんということだろう。バナナを買って戻ってきた俺を迎えたのは、絶対零度の赤い瞳だ。助手席は不機嫌なオーラで充ち満ちており、運転席に座るのも勇気が要った。たかがバナナを買ってきただけなのに、何故浮気がばれた旦那のような気分になっているのか。
「…どこへ行っていた」
「バナナを買いに、だよ。さっき言ってただろ」
 袋からバナナを取り出して見せるが、眉間の皺は深く刻まれたままだった。もしかしたら彼は自分の言っていたことすら忘れているのかもしれない。いや、忘れているとはいわないまでも、置き去りにされた怒りに上塗りされている。少しならいいか、と思っていた自分の軽率さを後悔した。こんなちょっとしたことでも不機嫌になる。妙なところで幼いというティエリアの性格を甘く見ていた。
「黙っていく必要がどこにある」
「ちょっとだけなら大丈夫だと思ったんだよ。お前を付き合わせるのもかわいそうだったし」
「なら、せめて一言…」
「言うべきだったな。悪かった」
 仕方なくこちらが先に折れても、彼の中の不満は解消されない。眉間の皺は消えず、端正な横顔のせいで妙な迫力がある。常ならば向こう三十分は不機嫌な状態が続くのだが、密室でそれは辛い。
 苦肉の策で、バナナの入った袋を探る。家に帰ったらおやつにしようと思っていたものだった。
「大体あなたはいつも……ぅむっ」
 文句を言いかけた唇に、白い中華まんを半分にちぎって押し込む。店で珍しいものを見かけ、つい買ってしまったのだ。熱々の中身に口の粘膜が心配になったが、幸い咀嚼する前に口から外されたため、悲惨なことにはならないようだった。
「これは…」
「おみやげ。アジア近辺の特産品だとさ。冷めないうちに食っちまえよ」
 そういうと、彼は自分の唾液のついたそれをまじまじと眺める。そんなことより、と話を戻されることを危惧したが、いい具合に興味の対象が移行したらしい。そして、絶妙なタイミングで低いうなり声のような腹の音が鳴る。そういえば、買い物に夢中で昼も食べていなかった。以前ならまだしも、俺が三食きちんと食わせて拡張した胃では、バナナジュースではとても収まるまい。
「あなたはそうやってごまかして…」
 慌てて変わりかけた空気を戻そうと、彼が口を開くけれど。中華まんの匂いにそそられた胃がまた音を鳴らしてそれは適わない。たまらずに吹き出すと、ティエリアは不機嫌そうに中華まんに口を付けた。空腹でもやけどが怖いのか、ちまちまと食べる様がほほえましい。
「うまいか?」
「…熱い」
「帰ったらバナナジュース作ってやるよ」
「作るのは……わたし、だ」
「わかったから、しゃべるか食べるかどっちかな」
 んむ、と頷く仕草だけをして、中華まんを片づけにかかる。どうやら食べる方を優先することにしたらしい。もう車内は、不機嫌の代わりに餡の甘い香りで満ちていた。簡単に不機嫌にもなるが、上機嫌にもなる。こんな風に扱いやすい態度でい続けてくれれば、と勝手なことを願いながら、車のエンジンをかけた。
 急に動き出したせいで餡が口の粘膜に入り、その熱さに絶叫が響いたのは別の話だ。