訃報を発するのは、思えば僕にとって初めての経験だった。すでに亡くなった祖父母のそれは両親がしてくれたし、その両親はまだ健在だ。軍に身を置く以上、亡くなった友人がいないではないが、いつだって僕以外の誰かがその役目を負い、僕がその役目を負うことはなかった。


 一息ついてディスプレイから目を離し、一度書き終えた文面を見直す。そこにあるのは件の日付と簡単な理由。そしてエイフマン教授が亡くなったという事実を告げる文章。それだけを述べた短い文面に、「悲しいお知らせです」などという前置きは不要としても、もう少し配慮できないものかと思案する。僕自身、目標とするべき人物を失って、いまだ他人に配慮する余裕を持たないのかもしれない。だが、突如文面でそれを知らされる彼女の胸中を思うと、もう一思案することなど何でもなかった。
「そんなことをしていて良いのか」
 自動ドアの開閉音に続いて背後からかけられた声は、受け取りようによっては非難にも聞えるが、それにはいささか声音が貧弱すぎた。僕は振り返りもせずに答える。
「今は報告待ちなんだよ。私用だけど、メールを送る時間くらい許してくれないかい? グラハム」
 どうか落ち着いて聞いて欲しい、と書き出すのはどうだろう。先に凶報であることをほのめかせば、彼女に心の準備をする時間を与えられるのではないだろうか。包帯や絆創膏が見苦しくて画像を送る気にはなれない。アルファベットの羅列でしかこの訃報を伝えられない僕にしては、なかなかの配慮に思えた。
「カタギリ、私が言っているのはそういうことではない」
「携帯端末は吹き飛ばされたときにへし折れてしまってね。今は家に帰る余裕もないし、ここで送るしかないんだよ」
 いや、だめだ。音声ならともかく、文面ではどうも違和感がある。なら最後に付け加えるのはどうだろう? どうか気を落とさないで、とかなんとか。残念だ、と端的に告げるのも悪くないかもしれない。そう、本当に残念だ。彼女と彼女のことを案じていた教授とを、引き合わせてあげたかったのに。再会して以来、もっと彼女と話す時間を作っておくべきだったと悔やまれる。 
「私が問題にしているのは、規律や機密ではない。お前のことだ。」
「僕のこと……」
 そうだ、僕のことも伝えたい。あの赤い粒子ビームが大地を削る風圧に吹き飛ばされて、コンクリートの破片に揉まれながら、亀裂の入った滑走路に投げ出されたんだ。左腕が完全に折れたし、頭に対する精密検査の回数はニ桁に至ったよ。もっとも、教授を始めとして多くの死者を出したこの一件だ。幸運だと言うべきなのだろうね。
「わざとか? カタギリ」
 やはりだめだ。わざとらしすぎる。そもそも、画像ではなく文書形式で送っている時点で、僕はいくばくかの誘導をし、期待をしている。彼女が、貴方は大丈夫なの? 顔が見たいわ、と揺れる声で返信してくれることを。
 結局、最初に作成した文面から大して加えることもなく、僕は送信ボタンを押した。文字を入力するのもカーソルの動きもなめらかだ。こういうとき、利き腕が無事で良かったと心から思う。
「私は君の身体が心配なんだ。なぜわからない」
 送信完了を告げる短いチャイムを聞き届けてから、僕はもどかしげに、そして泣きそうなグラハムの声音に振り返った。仁王立ちをして僕を睨み下ろす姿と、先の声とのギャップが少しおかしい。口の端が緩く吊り上がるのを自覚しながら、首を軽く傾げて見せた。本当は肩をすくめて見せたいのだが、重いギプスがそれを許してくれない。
「僕がいないとカスタムフラッグに乗れないものね」
 奇跡的に無事だった利き手を伸ばすと、肋骨にもダメージを受けた僕を慮ったのか、グラハムはその手に合わせて身体を屈めた。指に頬が触れればそれに沿うように、耳が人差し指と中指に挟まれるように滑り落ち、僕は耳の後ろに指をかけて引き寄せる。指の腹を叩くグラハムの脈拍を感じながら、唇を重ねた。ふわふわと生温いキスだ。
「ん……」
 舌は入れずに、唇だけを吸うように蠢かせ弾力を楽しむ。僕が骨に響かない程度に角度を変えると、グラハムの唇はそれを阻むように拮抗し、鼻にかかった甘い声が漏れた。離すとちゅっと小さな音が鳴る。
「そして君は、肺を傷めるような無茶ができない」
「カタギリ、……意地悪だな」
 近すぎて焦点がぼやけるが、茶化すようににっこりと微笑んだ僕に、グラハムが眉を寄せているのはわかった。しかし機嫌が上向きになったのも気配でわかる。
 振り返ったために僕の背後に回ったデスクに、グラハムが手をついた。もう一度、今度は舌も絡めたキスをする。グラハムの上体が僕を覆うように屈むが、デスクについた手で支えているのか、体重を感じることはない。彼はいつも僕に対して不遜で無遠慮に振る舞うが、なかなかどうして負傷した僕には優しかった。
「基地に着いて、一番に聞いたのが君の声でなかったら、私は、」
 囁きを漏らした唇の隙間は、すぐにグラハム自身が閉じてしまう。言いたくなければ言いださなければ良いというのは、少々酷だろう。彼の不安は震える唇が告げているのだ。浅い口づけが繰り返され、時折舌を深く絡めて唾液と熱を分かち合う。その度に唇が映画の効果音のような、わざとらしい音を鳴らした。
 デスクの上の端末が慣らしたチャイムがその音に重なった。You got mail! グラハムはキスに夢中で気付いていない。



 きっと、彼女の返信は素っ気ない。数年ぶりに再会した彼女は、かつて自然に培った親しさを、意識的な優しさと社交性による振る舞いにすり替えていた。恩師の死という残酷な現実の前には、彼女はいささか誠実で不器用すぎる。僕は彼女ほど優秀でないので、彼女についての過去の情報を持ってはいても、彼女を変えたのが一体何なのか予想はできない。けれども、そのくらいの事は解るのだ。
 ―――あるいは彼女を教授と引き合わせていれば。
 そうしていれば、彼女は僕とより等しく、哀しみを共有してくれただろうという期待も渦巻いている。僕はつくづく卑しい男だ。
「ふっ、んん……」
 鼻にかかった甘い声を漏らすグラハムが言った通り、僕は意地悪なのかもしれない。僕は、僕に対して明らかに一線を画し、視線を外し続ける女性のことを考えながら、僕を直視することを厭わない男の舌を吸っていた。