ろくに使わないのなら、処分した方が良いかもしれない。そう考えた矢先に使う用事ができ、なければないで不便が予想されたので思いとどまる。そうして保険、整備、燃料、駐車場など、維持費ばかりがかさんでいった。車は僕にとってMSよりも馭し難い。
「もう少し、速度を上げないか」
 助手席から聞こえた声には煽るような力強さがあった。焦れている時ほど余裕を見せようとするのは彼のくせだと知っている。
「法定速度は余裕でオーバーしてるんだけどね」
「では選手交代を」
「お断り。これは僕の車だよ。君は保険の対象外」
「保険が適用されるようなヘマを、私がするとでも?」
「予測できない事態のために、人は保険をかけるのさ」
 広大な大陸を突き抜ける道路は一直線で、ハンドルさえ維持していれば問題はないと判断し、ちらりと視線を横に向ける。時折過ぎるスタンドやモーテルのライトが瞬く夜景は、グラハムの白い肌やブロンドに良く映えた。肘を窓枠にかけ、指先で唇を弄る仕草はむずがる子供のそれだ。さすがに不安になって、視線を戻す。道はどこまでも直線で、速度を上げても問題がないように思えるが、ぽつりと立つ看板や木々に、速度を上げすぎた車が衝突する事故は絶えないものだ。
 パイロットの性なのか、乗り物は自分でコントロールできないと落ち着かないらしい。彼の車が車検中でなかったら、今日の遠出も間違いなく彼の運転する彼の愛車で行っただろう。グラハムの運転は速度の割に危なげなく、僕は安心してその横顔を眺めていられた。
 ふと、ハンドルを握る僕の二の腕に触れるものがあった。視線だけで探ると、白い指先がスーツの皺を辿っている。
「グラハム」
 呼び慣れた名前を窘めるように発音する。が、実際にこう呼んで彼がとどまったことがないのを僕は知っていた。
 二の腕から肩に、指先だけでなく掌が撫でるように触れる。首や脇腹にまではさすがに干渉はしなかった。くすぐったさにハンドル操作を誤れば僕らは心中するのだから。
 しかし、この掌の熱さはどうだろう。いつも彼が謀るスキンシップとは比較にならないほどささやかなのに、その動きは恐ろしく巧みで、触れられたのとは別の場所が熱くなるのを感じた。
「速度を上げなくても良い。車を路肩に寄せて止まってくれ。三十分で済ませる」
「シートを汚すのは御免だよ」
「汚さずにやる方法を教えてやる」
 シートベルトを限界まで伸ばして身を乗り出し、耳元で囁く彼を、速度を維持したまま片手で払う。これ以上の干渉は冗談でなく事故の原因になりうると判断したのか、グラハムは大人しくシートに戻った。
 僕は視線を前に向けたまま運転を続け、彼は手を額に当ててうなだれている。しばらくは車の走行音だけが流れた。
「……私は我慢弱い」
 ぽつりと零れた声は、強い主張を孕みながら弱々しい。本当に切羽詰まった証拠だ。視線を送ればその物的証拠すら視認すらできたかもしれないが、僕は前を見続けた。目的のものを見つけたからだ。
「わかっているよ」
 見せる相手もないウィンカーを出して、ハンドルを切る。道は延々と続いているのに、案外見つからないものだ。ショッキングピンクのネオンが描く文字を見て、グラハムは飛び上がって喜び、僕の頬に遠慮のないキスをした。