「これは君からの……贈り物だよね」
 本当は「仕業」と言いたいところだが、丁寧なラッピングと日付、そして贈り主を考慮してそう訊いた。
 二月十四日に僕のオフィスの机にあったのは、群青と濃紺そして細い金のラインが入ったストライプの包装紙でラッピングされた、しかし奇妙な包みだった。底辺が長い、平べったい二等辺三角形。それが厚みと丸みを持ち、途方もなく大きい日本のライスボールにも見えるが、それにはわずかに突出した頂点の形が歪だ。ご丁寧に赤のリボンまでかかったそれは、形を除けばなかなかにハイセンスだと思える。
 幸い、この奇形なプレゼントを見たのは宛先である僕が最初らしい。そそくさと鞄(奇跡的に収納可能だった)に詰め込み、今に至る。仕事が終わり、第一容疑者を自宅に連れ込んで、可能な限り穏便な尋問が始まった。
 大事なのは、溜め息を吐かないこと、眉間に皺を寄せないこと、長く沈黙しないこと。
「取り立てて何か約束をしていたわけではないし、今日という日を取り沙汰するような仲でもない。いや、もちろん私たちは親密だし、私は君を最高のパートナーだと思っている。だからせめて気持ちを形にする好機を逃すまいと思ったんだ」
 長く沈黙しないこと!
 警句に従うには、ハードルが高過ぎるぞ、グラハム。
 そんな呟きはどよめいた胸の内に押し込めて、僕はやや遅れながらも言葉を返す。溜め息を吐かないこと。眉間に皺を寄せないこと。
「この、ハンガー二十本が、君の気持ちというわけかい?」
「色々迷ったんだが、それが一番良いと判断した。受け取ってくれ」
 君の気持ちって何なんだ!?
 僕は常に穏やかな口調で話すよう心掛けている。学会で議論する時もだ。恩師のように低く力強い声ならば重々しく、時に激しく語るのも有効だが、僕の声はどうにも理想より高く、やや掠れ気味に聞こえる。間抜けに怒鳴るよりは、穏便な口調で優位を確保した方が説得力が高い。だから口調には気をつけていたし、随分板に付いてきたと思う。思っていた。
 いや、グラハムのこの手の行動に悪意がないことはわかっている。恐ろしいことに、彼は純粋に真剣にこのプレゼントを選んだのだ。いっそウケ狙いや悪意の方がリアクションには困らないが、まさか照れくさそうに微笑む相手をそう責めるわけにもいかない。
 冷めかけたコーヒーを一口含んで冷静さを取り戻す。これならビールかワインにした方が良かったかもしれない。
「ありがとう。ハンガーって、余っているようで必要な時に足りないんだよね。クリーニング屋が寄越すワイヤーのだと肩の形が崩れるから困っていたんだ。本当にありがとう、グラハム。嬉しいよ」
 今日のこのイベントで、キリスト教文化圏では様々な愛が語られ、大小の悲喜劇が繰り広げられているのだろうが、努力賞と助演賞は僕のものだと確信する。気持ち以外に偽りはない言葉に、グラハムはほっと息を吐いた。彼なりに緊張していたようなのだが、どうしてその尋常な神経を根本的なところに回せないのだろう。
「ところでグラハム、ちょっと訊きたいんだけど」
「何なりと」
 安心したのか、彼の態度は鷹揚だった。余裕のある動きで二人の間に置いたチョコレートを摘む。これは帰りがけに叩き売られていたのを買ったものだ。
「君はかつて付き合っていた女性たちにも、こういうものを贈っていたのかい?」
「いいや。大抵は花束と貴金属だったと記憶している」
 無難だ。この上なく無難な選択だ。なのになぜ僕にはハンガーなのだろう。いや、花束やら指輪やらを贈られたら、僕は今以上に困惑するに違いないのだが。
 苦々しい思いを中和するために、チョコレートを一つ口に入れた。歯を立てると中の柔らかなフィリングが舌の上に広がって、味蕾から幸せな気持ちになる。
「そういえばいつだったか、プレゼントした後にひっぱたかれた上に泣かれたことがあった」
 腕を組んで心底不思議そう告げられた言葉は、僕のささやかな幸せをかき消すには充分物騒だった。
「それはまた、妙なものを贈ったんじゃないのかい?」
 例えばハンガー二十本とか。とは言わずに置く。
「いや、いつも通り指輪と花束だ。彼女は泣いて喜んで、いつ両親に会いに来るかと私に尋ねた。私はその必要を感じなかったので、その旨を伝えたら、まあ話した通りだ」
「ご愁傷さま。でも指輪を贈られてそういう発想をしてしまう女性は、少なくないんじゃないかな」
「指輪を贈ったのが初めてというわけではないぞ。本人がとても欲しそうにしていたから、それを察して選んだ品だったんだ。全く、女性の心は複雑怪奇だな」
 全くだね、と言いかけて、ふとある疑問がよぎった。昔、両親の結婚に関するエピソードを聞いた時の記憶がおぼろげによみがえる。
「グラハム、もしかして贈ったのはダイヤの指輪かい?」
「ああ」
「プラチナの、立て爪の土台で」
「YESだ」
「給料三か月分の値段?」
「いや、それほどでは……意地汚い話だな。嫉妬か?」
「相対性理論が覆ってもありえないね。最後にもう一つ。彼女は日系人じゃなかった?」
「カタギリ、君はエスパーか?」
 僕の父は日本の出身で、今も日本に親族がいるらしい。昔気質な人で、母に対して日本の伝統的なプロポーズをしたという。堅苦しくて古臭くて、やんなっちゃうわ、と嬉しそうに笑う母は息子から見ても可愛らしかった。
 まあそういうわけで、流行は繰り返すらしく、三百年も昔の古臭いデザインが持てはやされることはあるのだ。グラハムをひっぱたいた何人目かの彼女も、そうした流行に乗っていたのだろう。彼女への憐憫を込めて、僕はグラハムに言った。
「君って最低だと思うよ」
「複雑怪奇なのは女性だけではなかったか」
 複雑怪奇というなら、まずこの男こそさもありなん。
 僕はハンガー二十本で良かったというべきなのだろう。実用性はあるし、自分ではなかなか買い足す機会もない。となれば、返礼が必要だった。
「グラハム、口開けて」
 テーブルの上にあるチョコレートを一つ摘みあげる。少し唐突な僕の行動に大きな目を瞬いているグラハムの唇に、それを当てた。中指と親指でチョコレートを持ち、人差し指で唇をこじあける。暖房と指先の熱で、表面のチョコレートがわずかに溶けて、グラハムの唇と僕の指に茶色い痕を残した。
「申し訳ないことに、僕は何も用意していなくてね」
「見返り、を期待、していた、わけでは、ない」
 咀嚼する間もグラハムの唇にはチョコレートがついたままだ。
「代わりに、僕の父の祖国での風習を二つばかり教えてあげるよ。ただし、僕には実践しないでくれよ」
 身を乗り出して舐めた唇は、薄く柔らかく、そして少しだけ甘かった。