刹那と組んで行ったミッションをようやく終えて、トレミーに帰還した頃には軽く数週間は経っていた。見慣れていた筈の艦内もいっそ新鮮な光景のように思え、顔見知りのクルー達にはおかえりどころか久しぶり、と言われる始末だ。
恐らく刹那も同じように温かい出迎え方をされたのだろうが、彼は彼のガンダムにべったりなので、果たして技術班以外のクルーに会っているのかは謎である。顔は可愛いのだから、もう少し愛想良く振る舞えばいいのに、とよけいな心配をしてしまうのは俺の性分だった。
そしてその性分故に、久しく顔を合わせていない心配なもう一人のもとへ向かう。それとなくクリスやミス・スメラギに様子を伺ってみたのだが、芳しくないわね、と曖昧かつ覚悟の要りそうな応えが返ってきた。尤も、芳しいティエリア・アーデというのをこれまで殆ど見たことがないので、いつも通りといえばそうかもしれない。そう思うことにして、覚悟の鈍りそうな己を奮い立たせる。
確か彼の部屋は、最初から備わっている簡素な生活用品をのぞけば、ほとんど物がなかった筈だ。ミッションに使うもの以外は必要がないといって、俺が部屋に持ち込んだアルコールに顔をしかめたこともある。
しかし今の惨状を見ると、そういう彼も意外に物持ちだったことを思い知る。端末の周辺機器やらカーディガンやら書類やら靴下やらが節操なく放射状に散らばり、部屋に入った当初は爆発でも起こったのかと疑いたくなった。しかし投げやすそうな物だけが都合よく吹っ飛ぶなんて都合のいい爆発はそうそうなく、爆心地であるベッドの中央に、うつ伏せになっているティエリアが犯人であることは間違いない。ふんわりとした桃色のカーディガンに包まれた背を震わせている彼に、声をかけようか一瞬だけ迷い、けれどこのまま惨状を放って戻るのも気が引けて、口を開いた。
「どうしたんだ、ティ…」
「帰れ。人と話す気分じゃない」
俺なりの気遣いも最後まで口にできず、枕にくぐもる頑なな声に切り捨てられる。予想していた反応だが、こうも壁を作られてはやりづらい。
ため息とともに俯くと、床に見覚えのあるインナーシャツを見つけた。ティエリアが着るには若干大きいそれは、多分、俺がこの部屋で脱いでそのまま忘れていったものだろう。慌ててつまみあげ、手の中で小さく丸める。爆発後に最初に入ったのが俺でよかった。自分の迂闊さに呆れるとともに、ティエリアがこんなものを捨てずにとっておいているという事実を意外に思った。そんな程度で可愛いやつだと思ってしまうのは、喧嘩番長が雨の日に猫を拾っているのを見るとものすごくいいやつに思えるのと同じだろう。相も変わらずベッドの上にいる彼は顔すら上げようとしないでいるが。
「本当に、どうしたんだよ」
ベッドに腰掛けて、まるい頭を軽くなでてやると、いやいやと頭を振られた。しかしはねつけられないのをいいことに、かまわずになで続ける。指の間をするするとこぼれ落ちるクセのない髪の感触が心地よく、手ぐしで髪を整えていると、やがてゆるりと僅かに頭が傾けられる。端正なつくりの顔が、半分だけこちらに向けられ、不機嫌に細められた赤い瞳とかち合った。その下には俺といたわけでもないのに、うっすらクマが浮かび上がっている。おおよそ大好きなヴェーダと遅くまで睦み合っていたのだろう。とりあえず、笑いかけてやる。
「ずいぶんと派手にやらかしたな」
「…小言を言うつもりなら出ていけ」
「心配してやってんだよ。なんかイヤなことでもあったか?」
「強いて言えば、あなたがここにいるのが嫌だ」
「…そりゃまた」
とりつく島のない応えにこちらとしては苦笑するしかない。俺にしてみれば、一ヶ月近くも顔を合わせていなかったのだ。トレミーのクルーほどの出迎えを期待してはいないが、そばにいることくらいは許して欲しい。
半ば成り行きとはいえ、身体を許しているくらいの仲なのだから、乱雑な部屋に出迎えられた挙げ句に、久しぶりに見た顔が半分だけなんて、いくらなんでもひどいのではないだろうか。そう思いはしたものの、口に出して訴えたら嫌なら出て行けと蹴り出されそうなので黙っておく。
未練がましくベッドに腰掛けたまま、そっとベッドに埋もれている顎の辺りをくすぐる。あんなに口では冷たくはねつけながらも、こちらが触れても黙って甘受するから分からない。おかげで引くタイミングを見失ってしまう。諦めは早い筈なのだけれど。
「顔を合わせねえ間に、嫌われちまったみたいだな」
「………………」
彼が無言で再び枕に顔を押しつけたので、慌てて喉をえぐるまいと顎に触れていた指を引いた。てっきり、もともと好きじゃありませんから、と冷たく言い放たれるとばかり思っていたから、曖昧なその反応にどうしていいのか分からなくなる。突き放されているというより、拗ねているのだろうか、これは。一度そう気づくと、それとしか見えなくて困った。
「なぁ、ティエリア?」
「…嫌なんだ、あなたは」
枕から顔をあげないせいで、くぐもった声。その上トーンを抑えているせいで、きちんと聞き取ることは難しい。いつもきっぱりとした物言いがいっそ小気味いいほどの彼には、珍しい口調だった。こういう不器用な喋り方をするようになったのはごく最近で、彼と親しくなってからだ。その変化は多分、いいことだと俺は思っている。
「なにが嫌?」
「あなたがいないときはよかった。ミッションに集中することができた。なのに、ここ数日は少しも落ち着かなかった。集中できなかった。スメラギ・李・ノリエガにも浮き足立っていると言われた」
「……え?」
意外すぎる告白に、思わず脳がフリーズする。どう切り返していいものかと迷っていると、その前にティエリアが勢いよく跳ね起きた。ふわりと細い髪が揺れ、紅茶色のひとみに鋭くねめつけられる。その下のクマは、肌が白いせいで気の毒なほどに目立っていた。
「今日なんて朝まで睡眠をとれなかった。休養もまともにとれないとは、ガンダムマイスターとして失格だ…!」
彼の目はよく見ると僅かに潤んでいて、追いつめられた顔をしていた。申し訳ないと思いながらも、言葉の内容とそのせっぱ詰まった表情とのギャップがおかしくて、思わず吹き出してしまう。たかだか一晩眠れなかった程度で、ガンダムマイスターの資格を失うのなら、俺など何度失うのか分からない。多分そういうことではなくて、彼が己のこころの弱さを責めているのだとしたら―――それは、きっと、違うのだ。
「…くっ、あはは」
「なにがおかしい」
「だって、お前が可愛いこと言うから」
「…ッ、」
両眼が大きく見開かれ、彼がまだ理解まで到達していないことを知る。自分の感情が分からないから、こうして部屋を荒らして癇癪を起こすしかできないのだ。それはガンダムマイスターであること以前の問題で、彼が必要ないと切り捨ててきただろうものの一つだった。それを教えてしまったのは俺で、だから彼は俺を嫌だと言った。けれど俺はそれが必要だと思うので、傍を離れようとは思わない。
生真面目なティエリアの休養の義務を奪ってしまうほど、俺は彼のなかに存在していたのか。不謹慎だと思いながらも、素直に嬉しいと思った。
―――だからせめて、その義務を果たしてやろう。
いかる肩を押さえ込んで、抱きしめるように引き寄せてから二人でベッドに倒れる。勢いよく落ちていったせいで、ベッドがばふんと大げさな音をたてた。
「な、何を…」
「眠れなかったんだろ? だったら今からでも寝ようぜ。ミッションも演習もねえんだから、しっかり休まねえとな」
「し、しかし…」
「いいからいいから。何もしねえよ。唯寝るだけ」
ぎゅっと緊張で縮こまっている身体を包み込んで、やさしく背を撫でてやると、だんだん力が抜けてくるのが分かった。抵抗を見せずにおとなしく俺に抱かれているところを見ると、嫌だという言葉はどうやら感情をコントロールできなかっただけらしい。そのことに割と本気で安堵した。今更に、俺も会いたかったのだ、と思った。
やがて長い寝息が聞こえてきて、カーディガンの袖口に半分隠れた手のひらが、きゅっと腕を引き寄せる。その無意識の所作が妙に嬉しく、密かに口の端をつり上げた。
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