目が覚めたとき、俺は医務室らしき場所にいた。やがてぼやけていた視界がクリアになり、治療カプセルの向こう側から、こちらの様子をうかがっていた白衣の男のナリにまず驚く。首から下はどうみても医者の格好なのに、マッシュルームカットの金髪にサングラスという出で立ちのせいで胡散臭さが五割増しだ。
この男に治療されたかと思うと自分の身が少し心配になってきた。麻酔がきいているのか、まだぼんやりとする頭でどうやってここに来たのかを考える。そもそもここは何処なのだろう。俺は確か、相棒に刺されてのたれ死ぬ予定だったのだけれど。
胡散臭い外見の医者が、意識を取り戻したのに気づいてカプセルを開けてくれる。身を起こすことが出来て少し楽になった。心配していた腹部の傷も、麻酔のお陰か今は痛みがなかった。
「ここは、一体…」
中指でサングラスを押し上げた医者に問いかける。医者は外見に似合わぬ人好きをする笑みを浮かべながら、ポケットからハンカチを取り出した。小花が散るピンク色だったので、ますますどこからツッコんでいいものか迷う。しかし、彼は俺にツッコまれるためにハンカチを出したわけでは決してなく。
「説明は後だ。まずは涙を拭きなさい、ニール・ディランディ」
医者に指摘され、初めて俺は自分が泣いていることに気がついた。名乗ってもないのに医者が俺の名を知っていることも気になったが、それよりも由来の分からない自分の涙に気を取られてしまった。
何か嫌な夢でも見たのだろうか。テロのことか、弟のこと。定番の悪夢だ。しかし目覚めは不思議と悪くなかったので、もしかしたら別の夢だったのかもしれない。
―――どちらにせよ、記憶には残らなかったけれど。
* * *
ソレスタルビーイングのマイスター候補として監視されていたお陰で、ニール・ディランディは奇跡的に一命を取り留めた。そして彼は、ここからロックオン・ストラトスとなっていく。
そして僕にはロックオン・ストラトスが必要だった。たとえその先に死しか存在しなくとも。だからこの選択に後悔はない。
―――それでも、胸は淋しさで痛む。今だけは。
「うわあああああああっっっ!!」
膝から崩れ落ちて、声を上げて泣いた。傍にいるリジェネも今は何故か僕を嗤わなかった。赤い瞳は黙って崩れ落ちた僕を見下ろしていた。
止まらない涙を顔ごと両手で覆う。拭ってくれた彼の体温も今は残らない。彼はもう、いないのだ。
イオリア計画。彼の未来。僕の記憶。色々な理屈や感情、選択肢を並べ立て、納得した筈なのに淋しさは減らない。減るはずがない。結局はどれを選ぶかという問題で、選ばなかったものが自動的に消えてくれるわけではないのだから。それに耐える価値のある未来のために、記憶のために、僕は淋しさを抱え込む。
大丈夫。目が、耳が、こころが覚えている。彼のすべてを。それで生きていける。
何度も自分で言い聞かせながら、指先で涙を拭う。拭いきれないでこぼれ落ちる涙がつめたい。温度のない場所では、彼のぬくもりだけ上手く思い出せそうになかった。あんなに与えられたのに。それだけが哀しい。
「…大丈夫」
悲観しそうになった頭を無理矢理切り換える。止まらない涙を強引に袖口で拭う。いつまでも座り込んで泣いているわけにもいかない。僕にはすべきことがある。
立ち上がろうと腰を浮かしかけたとき、白い手を差し出された。フリルのついた袖口は間違いなく彼のものだ。その行動が意外すぎて、思わず目を見開いた。
「リジェネ…」
「きみがいない間、あまりにも退屈で色々な文献を見ていたんだけれど」
いつもの不敵な笑みも浮かべず、彼らしからぬ真面目な顔をして、まるで現実味のないことを続けた。
「淋しさは、死者の魂を引き寄せるらしいね」
そう言って強引に僕の、涙で濡れた手を取る。濡れた袖口に顔をしかめ、みっともない、と吐き捨てた。そこだけいつもの彼だったのでなんだかおかしかった。思わず口の端をつり上げて、非現実的な冗談に付き合う。
「会いたいと願っていれば、死んだロックオンにも会えるとでも?」
「いいんじゃない? そうしたら、また面白いきみが見られる」
それだけ言ってリジェネは踵を返した。そのまま、またヴェーダの奥で眠るのだろう。消えていく背中を見ながら、彼がまだいてくれるのだと思った。今度、ヴェーダで見る夢の話でもしてみよう。余裕があったら一緒に眠ってみるのもいいかもしれない。
―――ティエリア、
不意に、名前を呼ばれた気がして振り返った。しかし、書庫に模したヴェーダの内部は静寂を宿すばかりだった。そっと手を伸ばしてみても、触れるものは何もない。当たり前だ、とつくった笑みは、涙で腫れたまぶたでは上手くつくれていない。
虚空を掻いた指先を、本の背表紙に重ねる。本の形に模したのは人の真似をしたかったから、と説明したけれど、それは半分本当で半分は嘘だ。本当は、彼が本を好きだと聞いたから。唯それだけの、くだらない理由だった。
ニール・ディランディとの出会いは思わぬプレゼントのようだった。二度と増えることのない記憶が増えた。愛してくれた。確かに幸せだった。しかし、それでも僕は、違うものを選べなかった。
どうあったって、僕にとってロックオンがすべてなのだ。あの、彼と過ごした記憶があって僕がある。それ以外の選択肢など選べない。突きつけられて思った。そうして僕は生きる。そう決めたから。
「……僕を導いてくれ、ロックオン」
目を閉じて、祈るように呟いた。そのとき誰かに抱きしめられる心地がした。記憶の残滓がそうさせたのかは分からなかった。
唯、失った筈の温かさに包まれて、僕はまた少し泣いた。
Copyright(c) 2009 All rights reserved.