こんなことになるのなら女性型の器を用意しておけば少しは楽だったろうか。昔の癖で男性型を選んでしまったが、彼は失望しないだろうか。そんなことばかりが気になって、セックスをするために生身になったのではないのだと気がついて苦笑する。さきほどの言葉だってお笑いぐさだ。あなたが望むなら、なんてまるで彼のいいなりになっているような台詞じゃないか。弟の身体に入れたのも、勝手に還したのも僕なのに。リジェネが見たらまた僕を嗤うのだろう。きみはいつまでロックオンのせいにするつもりなんだ、と言って。
こちらを見下ろす深緑の瞳は、確かにロックオンとは違っていた。かといってライルとも似ていない。これが、ニール・ディランディという男の表情なのだろう。それがこの先刹那やアレルヤや僕と出会い、ロックオン・ストラトスになっていくのだ。そうなる前に、彼は今よりもたくさん辛い思いをするのだろう。それでも、世界と向き合うことを選ぶのだ。自らの背負った過去のために。
「ん、」
不意にはだけた鎖骨の辺りを吸われて息が詰まる。どくどくと耳の裏が鳴り、その場所に赤い跡が残る。そこから舌を這わされて、背筋が泡だった。熱い息を吐き出す一方で、彼が少し苛立って眉を寄せていた。
「ぼっとしてる。何、考えてた?」
「…あなたのことを」
それは半分正解で、半分嘘だ。しかし今の彼にはそれを見抜く術は持たない。今、ここにいる彼とロックオンを分かてないまま触れ合ってしまったのはきっと正しくはなかったが、そうせずにはいられなかった。きっと僕は自覚している以上に彼を求めていたのだ。たとえ、離れるしか先のない繋がりだとしても。
「可愛いなぁ、お前」
「ひぁ、や、ぁぁ」
きつく胸を吸われて、あられもない声が出る。羞恥心を感じないわけではなかったが、声を抑えようとは思わなかった。腰にまたがってくる彼の重みや、体温。足の間の欲望や汗の匂い。舌先であまく囁く声。すべてを身体に刻みつけるので必死になっていた。僕の記憶にある彼はこんな風には触れてくれなかった。彼はいつだって過去を見ていた。そんな彼だから好きになった。
だからこれは、ヴェーダ内部で眠る僕が見ている、都合の良い夢なのかもしれない。違うなら確かめさせて欲しい。その声で、重みで、体温で、感触で。彼が不安がったように、僕も不安だった。あの空間はあまりにも生きる実感がなさ過ぎると、生身の身体になってみて思う。
「あ、あぁ…っ、やぁ」
彼の舌が何度も胸の先端を転がし、そのたびに身悶える。思考を巡らせても引き戻されるほどの肉体感覚がある。酷く懐かしいその感覚に身を委ねきれず、無意識にそれでも思考を動かそうとする僕は、この世界で生きていくには恐らく向いていない。なるべくしてなったのだと思う。しかし一方で身体が実感を欲しがっているのは大きな矛盾だった。もしかしたら、これを本能と呼ぶのかもしれない。人間がその身に宿した生きるための術だ。
「ひっ、あぁ…!」
胸を軽く噛まれて一際高い声が漏れた。仕掛けた彼自身も驚いてそこから口を離した。浅い呼吸を何度か繰り返していると、啄むような口づけが与えられる。余計に酸素を奪われそうなことをされて頭がぼうっとした。
「大丈夫か」
「いいから…続けて、ください」
口に出してからしまった、と思った。声も抑えないではしたないと思われただろうか。普段、彼と接するときのように控えめにすべきだったか。これで最後だと思うと欲張りすぎていけない。唯でさえセックスに向いていない男性型なのだから、協力的でなければ向こうも大変に違いないのだが。
「…止めろって言われたらどうしようかと思った」
ため息の後に吐き出された声が欲で翳っているのに気づき、こちらも安堵した。男性型の肉の薄い手足も、あばらの浮いた脇腹も欲を誘うには足りないつくりだが、もし叶うなら、慣れ親しんだこの身体で彼に触れたいと思った。
記憶が欲しい。覚悟が欲しい。この先ずっと人間を見守っていけるだけの意志が欲しい。そのために彼のすべてを覚えておきたいのだ。これから先、誰に触れられなくても大丈夫なように。彼との思い出だけで生きられるように。胸から腹、腹から下肢へ辿っていく指先も、額に落とされるキスも、静かな呼吸の音も、すべて忘れないでいたかった。彼が僕に与えてくれるものだから。
人間が本能で水や眠りを求めるように、僕は彼を求めていた。
「あっ、あ、あぁ」
彼の指先が性器にやさしく絡みつき、それだけで腰が跳ねる。直接的な刺激は不慣れで強烈すぎて、脳が焼き切れそうだ。身体とこころがまるで別のものになって、自分ではなくなるような怖さがあった。思わず覆い被さってくる彼の身体にしがみついて、快感から逃げようとする自分を押しとどめる。
「あ、やだ……も、こんな…あ、ぁ」
次から次へと溢れ出てくる腺液を彼の指先が掬い取り、先から根元まで塗り込めていく。粘膜の柔らかい部分を粘りけのある液体で潤されると、腰の辺りが熱いようなむず痒いようなもどかしい感覚に襲われる。いやだ、やめて、と訴えても指先は速度を増すばかりなので、夢中になって彼にしがみつくしか出来ないでいる。次から次へと与えられる未知の身体感覚に翻弄されてばかりだ。覚えていようと思うのに、攻められてばかりでは何も呑み込めない。
唯、背を逸らすたびに性器に触れていない方の手が、やさしく背を撫でるのは感じていた。こころと身体が分かたれていく感覚は怖いと思ったが、それを感じるたび、大丈夫なのだと思えた。
「あ、ああああぁぁぁっっ!」
やがて、性器を潰されるように強く握りこまれて吐精した。背から足先までぎゅっと硬直する感覚と、意志とは無関係に何度も痙攣する身体、それから頭が真っ白になりそうな強烈な感覚に身体が支配される。
しかし昇りつめる熱は一瞬で過ぎ去り、全身が脱力感に襲われて四肢をベッドに預けた。吐き出したときは体温を持っていた精液も、肌の上で冷えて流れていく。なまぬるいものが、敏感な部位を流れていく感触に身をすくませた。ひどく弱くなっているそこのせいで、一度なりを潜めていた熱が弱い快感としてまた頭をもたげる。こんなことを続けてしまっては愉悦でおかしくなってしまうのではないか。怖くなって、傍にいる身体にまたしがみつくと、やさしく頭を撫でられた。切れ長の双眸が笑みの形に細められる。
「まだ続ける?」
僕の不安げな表情を察したのだろう。彼が確かめるように耳許で囁いた。彼はまだジーンズをくつろげてすらおらず、張り詰めた彼自身がその存在を主張している。先ほどは息を吐いてみせたが、なおこうして聞いてくるということは、きっと本当に僕が拒めば止めるつもりなのだろう。
こんな風に、思いやりながら触れ合うことなど殆どないのだと思う。通じたと思っていても、他者とのやりとりはいつも一方的で、不安定で、通じないことばかりだ。不用意な言葉は自分や他人との距離をつくり、触れるだけの口づけですら時には言葉を遠ざけるために使われる。彼のように、ステッカー一枚で繋がりを実感するときもあれば、こうして深い部分まで重ねなければ理解出来ないときもある。きっとそれは、どちらがより分かり合えるというわけでもない。それでも今は。
「…続けて、ください」
彼に触れることを選びたいと思った。僕が生きるために。まだロックオンでない彼がこの世界と向き合うために。必要なことなのだ。
彼が指先で僕の吐き出した精液を掬い取り、奥の方へと流し込む。また温度差に身をすくませたが、馴染ませるような丁寧な指の動きにやがて、不快感以外の別の感覚がわき起こった。長い指が慣らすように少しずつ奥に入り込む。最初は入り口の辺りをぐるりと円を描くように辿り、そこから奥へと進んで行くに従って、圧迫感も増していった。
「あっ…」
奥のある一点を突かれたとき、強い快感が走り、思わず背筋をしならせる。何が起きたのか分からず、息を整える間もなく振り向こうとするとまたそこに触れられて、またあられもない声が出た。そこに気を取られている隙に一本、二本と指が増えていく。あんなに狭いと思われていた部位が、いつの間にか押し広げられていて妙な心地がした。気持ちが良いのか、痛いのか、苦しいのかもよくわからないままかき混ぜられ、息も上手くできなくなっている。本来、受け入れるための部位ではないのだから当たり前なのだろうが。
彼と交わったところで何も得られない。役割を考えれば全くの無駄だ。それでも彼に触れたいと思う。こういう矛盾こそが人間なのだとしたら、今の僕は全く、人間らしい。もしもこんな無駄を重ねて、この世界で彼と生きて行けたら、僕はどうなっているのだろう。記憶だけを胸に、独りで生きることはないだろうか。人間として、幸せに生きられただろうか。
―――人間なんだからな。
しかし、そういう夢想をするたびに、ロックオンの言葉がゆるく胸を締め付ける。ガンダムマイスターとしての資格を失った僕を、やさしく包み込んでくれた。何度も繰り返して支えにした。そうして僕は僕になった。
結局突き詰めると、僕は、僕の役割を捨てることができないのだ。それがあったからこそ、今があると分かっているから。僕は僕のすべきことをする。たとえ愚かで、哀れで、孤独と呼ばれても。どれだけ考えても、そういう結論に辿り着いてしまうのだ。
彼のことが好きで、触れていたいと思うこと。彼のことを刻みつけて、その記憶で生きていこうと思うこと。それらすべてと、僕の結論は繋がってしまう。触れ合って、離れるまでを前提にした繋がりは淋しいだろうか。
「……何、考えてた?」
ベッドに寝かせられてから、ぼうっと虚空を見ていた僕が気になったらしい。彼がやさしく笑って僕に問いかけた。僕は笑いながら、彼に抱きついて耳許で囁く。
「あなたと、僕のことを」
「そっか」
くすくすと笑って、彼も僕の背に腕を回す。やがて侵入してくる熱に彼がいるのだと思った。自分にしてはひどく甘い声を上げながら、この温度を忘れたくないと切実に願った。
目尻から自然に涙がにじんで、こぼれ落ちていった。
* * *
ようやく熱の収まった部屋で俺達は言葉もなく抱き合っていた。汗の滲んだティエリアの皮膚は吸い付くようで、肌を重ね合わせればあっという間に距離が無くなる。その感触が好きだった。
頬や額にくちづけるとくすぐったそうに、でも嬉しそうにはにかんだ。相手の顔が近くて、俺達の間に距離はないのだと思う。それは今だけのことだと、分かっているのが少し淋しい。
カーテンが僅かに明るく透けているのが見え、夜明けが近いのだと知る。こうしていられるのもあと少しなのだと思ったとき、彼の指先が瞼に触れた。相手が身を起こすと肩から毛布が落ちて、白い裸身があらわになった。彼は気にするそぶりを見せていたが、不必要な肉のない華奢な身体を素直に綺麗だと思った。
「そろそろ寝ましょうか」
それは、終わりを告げる合図だった。恐らく目覚めたとき、俺はこの部屋にはいないし隣にティエリアはいない。満たされた時間はもう終わりなのだ。
「いやだ。寝ない」
子どもみたいに甘ったれた口調で唇を尖らせて訴えると、形の良い眉が寄せられる。どうあったって変えられないならせめて、少し困らせてやりたかったのだ。こちらを覗き込むティエリアの頬を両手で包み込む。ゆるい弧を描く輪郭から喉にかけてをなぞる。普段は触れない皮膚はやわらかくて頼りなく、その感触が心地よかった。ティエリアも気持ちが良いのか、うっとりと目を細めた。
「……ほんとに来ないか」
こういう優しい時間に、自分の欲求を通そうとするのはずるいことだ。分かっていても、今しかないのだと思うと言わずにはいられない。
ティエリアは笑んだままゆるゆると頭を振った。そこに一切の躊躇いが見られないのが淋しかった。もっと揺らいでくれれば強引にでもこちらに連れて行くのに。彼のなかにはもう、俺の望むような選択肢はない。
尖らせていた唇を噛みしめて俯くと、不意に引き寄せられて抱きしめられた。あの吸い付くような肌の感触と、汗と体液とティエリアのにおいがする。それらに包まれながら、ティエリアから抱きしめられたのは初めてだと気づいた。聞き分けのない子どもをあやすような抱き方をして、耳許に穏やかな声が落とされる。
「ありがとう。その言葉だけで、僕は…」
「ずるいよ、お前」
低く囁くと、俺を抱いていた身体が身じろぎする。ティエリアの平らな胸に頭を押しつけたまま俺は続けた。
「そうやって、ひとりで満足して。勝手に俺の前からいなくなって…お前は本当にそれで、いいのか」
「…っ、」
ティエリアが息をのんだのが分かった。現状を変えることができなくとも、せめて少しでも、俺の言葉が彼に届けばいいと思う。鼻の奥に涙の気配がして、みっともないところを悟られたくなくて、ティエリアの腕の中でじっと身を固くした。やがて、俺の癖毛を不器用に撫でる手のひらがあった。その向こうからぽつぽつと、静かな呟きも落ちてくる。まるで通り雨のような不安定な言葉で。
「…僕にも昔、そう言いたかった人が、いました」
やがて、つむじに落ちる濡れた感触に、顔を上げるタイミングを失ったので、せめて言葉だけでも続けてやる。
「お前、そいつと同じだ」
顔を見ないまま、手探りで涙を拭ってやるのは難しい。何度か指先を虚空にさまよわせた後、なんとか濡れた目尻に辿り着いた。なまぬるい涙は次々と指を濡らしていって、とても拭いきれないけれど、強引に手のひらを当てて受け止めてやる。体温を伝えて、ここにいるのだと示し続けてやる。傍にいられる限りは。
「同じ、なんですね……」
最後にティエリアが誰かの名前を呼んだ気がしたが、俺には聞き取ることが出来なかった。
俺の言葉でティエリアが少しでも救われれば良いと願うのだが、それは傲慢だろうか。
気を遣いすぎて折角のティエリアの泣き顔が見られなかったことを残念に思った。泣いてもきっと、綺麗だろう。
だって彼は天使なのだから。ピンクのカーディガンが無駄に似合う、俺の愛したちいさな天使だ。
>>
Copyright(c) 2009 All rights reserved.