彼とまた顔を合わせるのに躊躇しなかったといえば嘘になる。何も知らない彼の前から突然姿を消して、独りにしたのだ。彼が何度も僕の名前を呼んでいたことは知っていた。淋しい、と繰り返していたことも知っていた。それらに耳を傾けるたび身が引き裂かれそうな心地がした。呼んでいた彼はきっともっと痛かったに違いない。
 それでも、久しぶりに姿を現した僕に彼は何も言わなかった。何も言わず、強く抱きしめられた。痛いくらいに拘束する両腕は黙って僕を責めていた。
 彼のまるい匂いに包まれながら、これほどまでに僕に執着する『彼』にはもう二度と会えないのだろうと思った。ロックオン・ストラトスは僕を見ているようでいて、僕の肩越しに自分の家族や過去を見ていたから。
 そっと、彼の背中に腕を回す。背中の緩やかなカーブを確かめるように何度も撫でながら、なるべく優しい触れ方で抱き返した。それでは足りないのだと訴えるようにきゅうきゅうと締め付けてくる腕の強さに、泣きたくなった。触れるだけで、この泣きたいような気持ちが伝わればいいのに、と思うけれど、彼は人間なので無理なのだ。そういう不自由さもいとしい。
 ひとつ、息を吐いて顔を上げる。言葉を口にする前に唇を吸われた。彼とキスをするのは二度目だったが、一度目の触れるだけのやさしいキスとは違って、噛みつくような乱暴さがあった。
 呼吸さえも奪われるほど強く下唇を吸われ、んん、と犬のような声が漏れる。背中に回っていた腕が腰に降り、反射的に逃げを打とうとする僕を繋ぎ止めた。吸われてずれた唇から唾液がこぼれ落ち、すかさず彼の指先がそれを拭う。唇が糸を引いて、ゆっくりと離れていった。
 やがて焦点が合うほどの近さになり、真っ直ぐこちらを見据える深緑の瞳と絡む。僕だけを見ていてくれるそれを嬉しいと思う。惜しいとも思う。けれど、告げねばならないことがある。
「遅くなってすみません。あなたの身体を見つけました」
 双眸が見開かれ、はっと息を詰める。残酷なことを言っているのだという自覚はあった。けれどもう止めるつもりはなく。
「還りましょう、ニール・ディランディ」
 この言葉を笑って口に出来るように、僕は何度も練習したのだ。我ながらみっともないと思うが、そうでもしないと笑える自信がなかった。見開いた瞳にはきちんと笑顔に映っているだろうか。何度もつくった笑みを思い浮かべて瞳を覗き込む。
「……ッ、」
 しかし、僕のささやかな努力はあっさりと無碍にされた。また彼の腕に引き寄せられ、双眸どころか表情すらも見えないくらいの近さに逆戻りする。指の一本を動かすのも難しいほどにきつく抱きしめられた後、耳許に聞き取るのがやっとの囁きが落とされた。その声は僅かに震えていた。
「なんでっ……俺、死んだんだろ!?」
「死んではいません。あなたはまだ生きて、あの世界で、」
 やるべきことがある、と告げようとした僕よりも一瞬早く、彼が続ける。絡みつく腕の力が強すぎて、唇すら上手く動かせないのがずるい。
「ここにいたらいけねえのか。ここで、お前と…」
 切実に僕を引き寄せようとする彼の腕を、リジェネのように弱さだと言う気はない。素直に嬉しいと思い、胸の底が温かくなっていくのを感じるが、リジェネの言う通りその先が存在しないのも事実なのだ。
 何もかも捨てて、この体温や言葉に身を委ねたら僕は幸せになれるだろうか、と考えはしたけれど、その度に身に刻まれた記憶が蘇る。ロックオン・ストラトスがくれた温かなものたちは尊すぎて、切り離すことが出来ない。彼にとっての未来。僕にとっての記憶。それを手に入れることを僕は選んだ。
抱き返すための腕を彼の背中のそばで止めて、代わりに優しく押し返す。ゆっくりと頭を振って、微笑みかけた。それなのにずっと僕を抱きしめてくれた彼は泣きそうな顔をしていた。彼にとっての幸せとは何なのか、僕には分からない。だから僕が最善と思う選択をするしかない。計画のためでもなく、彼のためでもなく、ティエリア・アーデのための選択を。
「……あなたを還す前に、見せたいものがあるんです」
 ならばせめて、彼が迷わず還ることが出来るよう、その背中を押したいと思った。たとえイノベイドとして間違っていたとしても、彼を愛したひとりの人間としての意志がそうさせた。彼を喪い、肉体を失ったことで、人としての僕は死んだと思っていた。けれど違った。
 僕はやはり、愚かで哀れで淋しい人間だったのだ。人を遠ざけても見守り続けても、それは変わらなかった。

 僕が人間なのだと気づかせてくれたのはロックオンだった。
 僕がまだ人間なのだと思い出させてくれたのは、今、目の前にいる彼だった。






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