人が死ぬなんて簡単なことなのだと、俺は一度身を以て経験した。
14のときのテロは、そういった諦めをこの身に刻みつけるには充分すぎる経験だった。どんなに尊い存在でも屑みたいなチンピラでも、頭を吹き飛ばせば皆同じになる。命なんてもろいものだ。数分前まで笑っていた家族は、一瞬で唯の肉塊になってしまった。
そのせいなのか、この状況に恐怖といったものは不思議と感じなかった。自己防衛に過ぎなかったのかもしれないが、今の俺は死というものに対して驚くほど寛大だった―――というより、どうでもよかったのだ。今となっては。
―――アンタ、もう要らねえわ。
仕事の相棒だった男は、そう言ってスコープを覗いていた俺を突然刺した。顔も思い出せないチンピラだったが、近づいた瞬間に鼻につく、安い煙草の匂いが鼻孔にしみついている。
仕事の最中に仲間に裏切られるだなんて、今時、三文小説にもないようなありふれた死に方だ。あまりにも唐突で不条理だったせいで、何故、と問う隙もなかったけれど、ろくでもない理由であることだけは想像がつく。そもそも、死ぬ理由になど興味もなかった。
腹に手をやると、ぬるりとした感触に触れる。なまぬるく指先を汚して、鼻をつく鉄の匂いに気が遠くなる思いがした。後頭部が殴られたようにぼんやりと重くなっていくのを感じる。薄れゆく視界にはもう誰もいやしない。捨て台詞を吐いた男の姿は既に消えていて、目の前には古いアパートの塗装が剥げたドアがあるばかりだ。死ぬ前には今までの思い出が走馬燈として流れるというが、唯ひたすら眠いばかりで幻のひとつも見られない。死ぬって案外退屈だ。せめて天使でも降りてくれば少しは面白いのに。
「……天国に行く気かよ、クソが」
ふと、自分の思い至った発想に思わず苦笑する。そもそも俺自身が屑みたいなものなのに、こういうときばかり都合のいい夢を見るなんて。面白みもなくて当たり前だ。死んだらゴミになるだけで、何も残らない。分かっていた筈だろう。その先には何もない。何も。
全身が重くつめたくなっていき、誘われるままに瞼を閉じた。一度閉じてしまえば、もううすい瞼を開く力すらない。闇の中はひたすら黒く、本当に何も見えなかった。死ぬのだ、とおぼろげな自覚だけがあった。
その中で。何もない筈の垂れ込めた闇の中に、俺と同じ顔をした弟の姿が不意に蘇った。今月分の、仕送りの振り込みを忘れていたことに気づいたのだ。
死に際にしても間抜けすぎることを思いながら、今度こそ俺は死ぬのだと思い、意識を手放した。
* * *
見覚えのある家具が並び、どこからかシェパーズ・パイの匂いがする。テニスラケットに学校の教科書。二つ並んだ机。俺の部屋―――正確には、俺たちの部屋だ。
机の隅にある傷は、エイミーが分厚い事典をぶつけたせいで出来た。書いてあるものの意味もわからないくせに、エイミーはよく父さんの書斎から本を持ち出して広げている。あのどっしりとした構えの表紙や、埃の匂いが気に入っているようなのだが、好きなら片付けるところまできちんとして欲しいと思うのだ。どうせ怒られるのは兄貴の俺なのだから。
机の上に乗っかったまま放置された事典を片付けようと手を伸ばすと、その下にサッカー雑誌があることに気づく。これは恐らくライルのものだ。テニスの次はサッカーを始めたらしい。ライルの飽きっぽいのは困りものだわ、と母さんはため息を吐いていたが、そういうことではないのだと、俺だけは分かってしまった。というよりも、俺にしか分からない。双子の俺にしか。
昔から何をしても、俺はライルよりも少しだけ上手くできた。あくまで少しの差なのだが、ライルにとっては気になって仕方がないようで、それが明らかになると途端に逃げようとする。第三者から見ればほとんど分からないような差だったし、少し努力をすれば簡単に埋まるだろうと思うのに、何故かライルはいつも途中で投げ出してしまうのだ。そして、俺のいないところへ行こうとする。
そういう距離を作りたくなくて、ライルに勝ちを譲ったことも幾度かあった。けれどライルは必ずそれに気づいてしまって、試合に負けたとき以上に不機嫌になる。それを知ってから、俺はもう諦めていた。俺とライルが離れていくのは仕方のないことなのだ。好き好んでライルよりも器用に生まれついたわけではないし、逃げていくのはあいつの勝手だ。
だから、今日もそうして諦めようとしていた。
シェパーズ・パイはライルの好物だった。居間からエイミーの笑い声がする。お兄ちゃん、制服ぜんぜん似合わない! やけに甲高く明るい声はどこか空疎で、かえってその奥にある淋しさを伺わせた。
今はああして笑えているけれど、ライルが寄宿舎に戻る頃にはぼろぼろと泣き出すのだろう。そうしたら俺が行けばいい。二人で冷めたシェパーズ・パイを食べながら、また帰ってくるさ、と言ってやればいい。
「ニール、いらっしゃい! もうご飯できてるわよ」
聞こえないふりをしてベッドにもぐりこむ。あの食卓に俺が行ってはならない、と思う。ライルはどうせ俺を疎ましく思うだろうし、それを察した母さんやエイミーが無理やり取り繕おうとするのも見たくない。俺はライルとは関わらない方がいいのだ。
ただ、比べられるからというだけで、どうしてこんなに嫌われなければならないんだろう。どうして遠くへ行こうとするんだろう。昔は同じであることが嬉しかった。何処にだって一緒だった。このベッドにだって、一緒に眠って。母さんが電気を消すまで二人で話していたのに。
双子になんて生まれなければよかった。そうすればライルも俺も苦しまずに済んだ。ライルも家を出て行くこともなく、エイミーだって泣かずに済むだろう。
「ニール、寝ちゃったの?」
「いいだろ母さん、あいつのことなんて」
「ライル、あなたまたそういうこと…」
遠くから聞こえてくる会話に、思わず耳を塞いだ。胸が引き裂かれそうに痛むのを、息を止めてやり過ごした。頭から毛布をかぶろうとした瞬間に、そばにあった二つの机が目に入る。ライルの机のいちばん上の引き出しには、不格好なのりの跡がある。子どもの頃貼った、ステッカーの跡だ。俺とライルが一番憧れていたヒーローのものだった。
どんなに離れたところにいても、必ず標的を狙い撃つ無敵のスナイパー。そのヒーローになりたくて、木の枝を銃に見立ててお互いを狙い撃ったりもした。敵役とスナイパー役は必ず交代するという決まりで、数をきっちりカウントしても毎回喧嘩になってしまった。
ステッカーを先に手に入れたのは俺だった。ホログラム加工の目立つ特別製で、ひどく羨ましがられたのを覚えている。3日に渡る取っ組み合いの喧嘩の末、仲直りのしるしにライルにやった。実は見かねた母さんの入れ知恵だったのだが、その夜はライルがひどく興奮していたのを覚えている。
いつか兄さんにも同じものをやるよ、と興奮したままライルが言ったので、楽しみに待ってるよ、と返した。きらきらと輝く特別なステッカーよりも、もっとライルの瞳は輝いていた。それを見るのが嬉しかった。
けれど、そのステッカーは手に入ることもなく。俺を疎んじたライルは、もうガキじゃねえんだと言ってステッカーを剥がしてしまった。不格好な跡をみて、力なく笑うしか出来なかった。淋しいとは思っても、撥ねつけられてなお執着する勇気など到底持てそうになかった。
そのくせに俺は、諦め悪くライルとの繋がりを絶てないでいる。名前を名乗れないまま、汚い金を送りつけるという一方的なものでも。繋がっていたい、と思ってしまう。たった一人の家族だから。たった一人の双子の弟だから。
どうしようもなくとも、最後の最後で諦められない。俺にとってライルは、昔からそういう存在だった。
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